クラコウジア発ニューヨーク行
立て続けに観た洋画のエンディングは薄暗い朝だった。話をすれば時間は過ぎるし度々トイレで用を済ませば水が流れる。低いところから高いところへ流れ落ちるものがないように今日あったこと全てに意味はなかった。法則に反する事象が身の上に起こった時、不可解さよりも理不尽さに私は憤る。欲求を叶える訳でもなく浪費の為に私はダシにされたのだがタダでは終わりたくない故に私も惨めな浪費に身を落とした、高きところから低きところへと。薄暗い朝が御あつらえ向きだ。この偉大さが放つ強力な引力に集まる塵や塵を今日は受け容れてしまった。よく払わねばならん。恐ろしいまでの異彩を放つことは、まみれた垢を払い落とすことでもある。変容し燃えるような言葉を吐く友人が恋しくなった。唯一この導師を超える彼が姿を隠して久しい。いつもは好んで食べていたが今日は喰われたようだ、どうりでムカムカする。そう云えば星座占いが当たっていた。・・・尚更悔しくなった。
好き嫌いはいけません!
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