副題に唄を用いるのがワンパターンにならないようにせねばなるまい。"虚無"とゆー言葉はセンチメンタルだとした知人がいた。今ディクショナリーってみたら古代中国の老子の哲学がドータラコータラ。彼は老子を否定したのだろうか?彼は虚と無をくっつけた虚無とゆー言葉にセンチメンタルしちゃった訳だ。今日のテーマをセンチメンタルとしたのは今日そのようなことがあったからである。些細なことから大きなことまでひっくるめてセンチメンタルしちゃう時がたまにある。深夜の検索で検索を重ねるとそのいった場面に遭遇する。
大まかに云うと流れや個人に、なんだけど。今日は数年の流れに、いや恐らくは数十年なのだろう、それに身を置きながら生業とする多分先輩にあたるのだろう、私の愛するものが無残な種を植え込まれている実情を彼の憤りと共に伝えられたのだ。それはウィルスをバラまいているのと同じことなのだった。彼は真面目である(その言葉が本当ならば)。それには感心した。しかし私の熱きハートをキュンと締め付けるのはなんなんだろうか。人の行動は時にセンチメンタルだ。私も漏れずセンチメンタルなのだろ?燃える私はいずれ消える。焔は物質ではないのだ。呪い業をやっておるせいもあり喜ばせることが好きだ。扱いの面倒な紙よりも私の焔は感動によって勢いを増す。センチメンタルとゆー言葉もまたそれ自身センチメンタルです。
もうすぐピッカピッカのさんねんせ~
0 件のコメント:
コメントを投稿