「意味わかんね。意味ないっすよ。」
以前の職場で若い先輩から言われた一言がかなり感核に突き刺さった。直接で簡潔でズバリその通りの言葉に、ちょっぴりの可能性とか大いなる無駄を全く感じない"割り切り"を悟った。効率を追求し利潤を考え協調とスムースを築き皆が苦痛なく働く大きな場にとって、その言葉はお似合いだった。
しかしそう感じただけで、また未熟だった彼はそこまで含めて口にした言葉ではないとも思う。そのバヤイ彼の個性と思考と人生が見えてくる。使われる素質をもった個体は関係をドライにしソレはソレ/コレはコレと上手な切り替えに私は尊敬してしまう。そうしなきゃやってられないとも言われますが、それが当然だと見えちゃってます。そう判断し決めつけちゃいましたよ。何も間違いと云っておる訳ではなく私はそれが正しいと思います。必要以上に時間を割くのはハッキリ間違いです。私は間違いと解って何の利にもならないことをするのが、それはそれは大好きです。悪人です。悪人である私は間違いを起してきました。でも少なからず得な思いをしています。悪にも得があるんです。その得が徳に繋がったりもします。困ったことがあったら悪人を利用すれば良いんです。
意味ないっすよ
「ではどーしましょう?」
返事は無いんです。
感覚なんです抽象なんです。「意味が無い 」の真意に決して明確も方針も理念も具体具現もありゃせんのです。それには効率に染まった過去の反復行動でしかなかったと思います。それじゃつまらないんです、働く者は。もっと改善された新しい労働を教えて下さい。つまらない過去の単純さに私は悔しい思いをしました。そして今日久しく出会ってない方から意味有のお教えを賜りました。親切心だと採りたいのですが、私はそれを無知だとします。私は只でさえ井戸の中の蛙です。その井戸の中でとても綺麗な石を見つけたその方はそれを世界の最高の宝石とし、私に素晴らしさと共感を求めるのでした。また一人、自己の世界を小さく浅ましいものにした方が生産されました。そのツケを払うことなく井戸の中の小さな石は光続けるのです。
消費者よ、賢く貴なる者であれ
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