水物商売が冷え込む時期であっても一部では賑わいを失わない。日銭稼ぎに喘ぐ若者の目はどことなく物足りなさそであったがうつむき加減の目線の奥には光るものがあった。彼とは懇意な仲になってしまっている。が、安心出来る人物ではない。「こちらも危ない橋を渡れと云うのかい?あぁいいだろう。どうせ暇なんだよ。」刺激ある瞬間に私は宝石を手に入れる。宝石を更に磨き入れ至高の一品に魅せる技が得意だが、その為飢えた野良犬には餌と思えないらしい。いずれ機が熟す時の為に耕し、たんと肥料を与えておこう。
若者と接する時に不思議と出てくる言葉の数々は誰でもない彼が私にそうさせている。老婆心ではない。昔から"若者"が好きだった。彼ら若者たちの姿に"可能性"を見る。何も考えずにひたすら走る者/何かを考えながら恐る恐る進む者、それら何と弱弱しいバックボーンだろうか。私も昔はそうだった。社会から受けた怒りの捌け口を社会へ向けそして無惨に散った。今を若者として生きている者達もそれぞれに充実と無念を体験するのであろうか。自分を見つめ過ぎて自滅して欲しい/他者の存在に打ちのめされて欲しいと思います。勇者がいるから民が幸せになるのではなく、民が幸せを願うから、幸せな方向へ行くのです。若者達よ、今は走れ。その足が動かなくなる前に走れるトコまで走っておきなさい。無我夢中で結構、だから事故が起きる。起きても良いんです。次は避け方が解ります。そうして上手になっていきます。小汚い知恵がついてしまった大人たちを馬鹿に出来るようになります。かと云って小汚い大人たちを相手にしてはいけません。彼らはいずれ泥に嵌るのです。ごめんなさい、小汚い大人たちが多くて。君たち若者は泥に嵌った大人たちの上に砂や土を掛けて踏み固めるのです。そうして安全な道が出来ます。
「また来ます!」
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