地球上では3分間しか活動出来ないのであった。
夜空を見上げれば月が満ちようとしている。しかし私の月はその異彩な光を全く隠している。実はマトモに月の引力を私はバイオリズムに取り込んでいるらしく月齢が満月になると騒いでしまう。この落ち着かない苛々さは天空に鋭くギラつくMOONの仕業だったとは呪導師らしいではないか。やけに冴えてしまいまたこんな時間まで活動してしまったことをマリファナ海溝級に悔やんでいるがこの憤りに近い生きるEnergyはドンドン溢れてしまう。それを逸らし癒すのが私の月なのだが、彼もまた月に影響される方だった。が、しかしトンと姿を見せないとなると、それは彼の中で死が始まっているのかもしれない。死は再生であり存在を全く変えるつまり変容をもたらす作用なのだが彼はその再生を望んではいなかった。かと云って彼は自分と同じ存在を残さなければ消えることは出来ないとも言っていた。この喪失感は酷く私の心を侵す。狂おしい天邪鬼になるために
赤い羽根に漂う彼は私と同世代でここのこことは違う場所で知り合った。彼が静なら私は狂である。彼は知であるが私は痴である。彼は機知であり私はボケである。彼がボケるのなら私は他人になる。彼は徳があり私は凶がある。彼が天邪鬼ならキッパリ「それはない」と私は云う。無理なことをやろうとすれば必ず矛盾が発生する。彼がそうなれないと書くところに彼らしさがハッキリと現れ私は気分が良い。天邪鬼は二重三重の罠である。それは隠すことではなく半ば投げやりでもあり極めたものであり執着でもあるそれらジレンマだ。彼もそれはあるだろうが、それをすっかり飲み込んでしまっている処に大人らしさがある。よくは知らないが私の闇の目にはそう写っている。彼はまだまだ隠していることが多い。それは魅力に?がっているので上手な表現である。その影の部分にあくまで想像の目で覗き込めば少し冷たい闇(と表現するだけであってそうではない)があるのを10年先の距離から感じるのだよ。君はもっと冷たい言葉を吐く筈だ。それが鋭すぎて隠している。あまりにも切れる刃先は見せびらかす事でその危なさに「うっ」と気付くかも知れませぬぞ?天邪鬼になること事は無理でしょう。貴方はそれよりも恐ろしい内界をお持ちなのです。もっとアタフタと慌てふためくなら邪鬼にもなれましょうが、貴方はそうはならない。もっとキレた目で見下す言葉を投げかけ近寄るもの全員を斬り刻むのならその後の静寂の更にその後に天邪鬼になる機会を得るのです。私には寿命があるのです。それは半年先かも知れません。ここでこうして在ることを幸せに思います。それが幸か不幸か解っている。全て出会うべくして出会うのです。
そして役を成せば別れるべくして別れるのです。
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