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どぅーしてココに着ちゃったの?!
  ここは redo_chan という、よく分らない匿名ユーザーが鉄則から外れてブログっている Blog です。

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死に様云々

長くツイートしたものはブログ記事にする作業。こうでもしないとココの更新が滞るので。

今こそ考えよう 高齢者の終末期医療|読売新聞 yomiDr /ヨミドクター
欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60441
「頼むから、もう放っといてくれ!」
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=63577

終末期医療は誰のもの?
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60890
納得のいく死を迎えるために
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=63250

の感想。

海外との比較ではないが参考に。人生共同設計も大事だが、どう死ぬかの会話も大事。お付き合い相手とは、落ち着いた頃合に話しておくのがよかろう。本当に先が見えないのは終点であるし、訊こうとしても瀬戸際の相手は何も応えてくれん。

人生観のマッチングは容易いが、死生観の合意合致は‥ まぁ、お二人で考えなはれ。それと家族が居るなら、いい歳した子供にも。いっちょ前の人生送ったつもりでも最期でチグハグ、よくある事。こうなったらドタバタするでしょ。死に際で説教や口論なぞ聞きたくないだろうしw

書籍や漫画や聞いた話で「どうしよう、こうしよう」じゃなく、やれ「したい、したくない」の好みの問題でもなく、人の死に様よく見とこう。

見過ぎる人は‥好きにしなはれやw

欲を失うのは死への準備

長くツイートしたものはブログ記事にする作業。こうでもしないとココの更新が滞るので。

自覚を持ち客観視点を考え公けに常識的に言って、性欲と云うものが不要な年齢になったが、適度に保持するのは人間的魅力に通じることを上位世代から教わっている。生殖を目的とする本能でもあるから、この目的の為の用を成さなくなった時、必然的に退化する欲求でもあると思う。

近年でも経済的余力に溢れる紳士は、育成や援助などの名目または威厳や活力から、若く美しく一段優れた女性を囲うこともあるだろう。こういった人達の実際の愛玩を少しばかり知っているが、万が一自分が立場を得ても同じように実践する自信も能力もない。同世代でも二周り年下層への興味を失っていない実在人物を少なからず知ってはいるが、欲する快活に比べて現実は当然厳しく彼らの欲求を満たす事には成り難い(運良く/知恵を絞って、そうなるが一時的な大人の知恵でしかない)。発散する対象を持たない限り、枯れないことは辛いことでしかない訳だ。

接客環境以外で格上と接触する経験がある場合、恐らく格上が向けている心理的な興味は、男性的なものではなく父性に近いと思う。種の保存(血の継承)と同じく、知識の継承を行うのは世間を見たとおり極自然な事でもある。世代間の接触は、直接的ではなくこういった間接的なものに留められるのが明確なのだ。

とは云え、実際そうではないし、感情を優先した末に余りにも現実染みた破局を迎えたケースも目にした。実の所、解っている筈なのだが、ひょんな事で道を誤る中高年も多くリスクの高さを自分の活力に変えている。これが幻想であると解っていても当人はせずには居られないのだろう、哀しい処である。これを慰めるのは運悪く引っ掛かった乙女やら職業に携わる者達で実際の所大変な役回りだろう。消耗を補うメリットに価値が無くなれば即刻無縁となる自由もあるが中々行使には至らない点も明白だろう。

そうして、欲と云うものが社会を動かしている中で一つでも欲求を失うと、楽にもなるし活力自体を失うことにもなると身に染みた夏だった。

漫画を読まなくなった漫画世代

長くログしたものはブログ記事にする作業。こうでもしないとココの更新が滞るので。

会社勤めしていた頃は、ほぼ毎日誰かが当日発刊の週刊マンガ誌を調達してきて、みなで読みまわしたものでした。そうして、どの漫画が良いとか面白いとか、単行本を購入するキッカケにもなったものですがこういう環境から外れると情報入手が滞り、立ち読みで済ませるのも中々で、また昨今の批評厳しい読者の意見が渦巻くネットなどから、漫画これ自体から足を遠退いてしまうのでした。広く浅く情報を得る選択でも協調を見出せる中、一気に読める、離脱できる、所有するほどでもないもの、ライト感覚で漫画に親しむ人が増えたのは無理もなく、読者の立場で漫画を楽しむには例えばマンガ喫茶など付加価値がある場所で触れると云うのは自然な流れかも知れません。絵柄よりシナリオが優先、これが鬱陶しい場合も多く、漫画が作品化しているのは大変結構ではありますが、話数や巻数が多くなると興味が根付き難いのです。作品についての解釈雑談は結構ですが、作者の人格まで及ぶと例えトレビアでも面白さが損なわれます。そこを見ないと作品の解釈に到れない事は承知しておりますが、昨今の皮肉混じりには食傷気味であります。漫画は遠くなりました。購入を止めたタイトルもあります。処分することすら意識に薄く、そこにあって無い物、になっています。こうなったのは読者側のせいなんですが。

その表現を生み出した表現者に注意せよ

長くツイートしたものはブログ記事にする作業。こうでもしないとココの更新が滞るので。

表現手法を選ばず、エロ妄想表現の特に孕ませ行為を描く陵辱の根底に窺える例え過剰であっても表現者の征服欲が過剰だと、こういった妄想表現はエロを外れて只の強欲主張に陥る。

之も含めてエロ要素なのだが仕掛けや訳が解るなら、この例は人外に踏み込む表現で表現者の人格崩壊を懸念する事になろう。現実味があるようで実は全くの妄想産物が、人の存在を食すに等しい程の強欲、誰もが潜在的に装備している例えば"その気になって他者を服従制圧する狂気の心理傾向"、の気配を放っている創作物には注意が必要で、一過性消費物とは云え下手をすると無感動な殺人や同種捕食に繋がる因子を生み出すキッカケにもなる。
この辺りを意識するか、または「馬鹿な」と無意識にやり過ごすか等は既に及び知った処であろうから、こう考え置くのが多分無難なのだろう。

今時狂気に走るのは簡単で、踏み外した者を、その時だけ馬鹿と罵れば済む世界なのだし。

精神不安定な表現者が、辛うじて安定してみせた表現媒体には注意した方が良い。何気なく異常犯罪者に通じる特殊な精神構造と論理を「面白い/興奮した」と解釈して知るかもしれない。自分の中に刷り込み過ぎないように。

久々 tobe zoo へ行ってきましたぞ

今から20年前、開園直後に行ったきり、10年来足を向けなかった砥部動物園。
ですが、落ち着き始めたお年頃から行く機会が増えまして。 そうですそうです、落ち着いたお付き合いとかの関係で。

あのピッカピカだった動物園も10年で程よく擦れた感じが出ており 時の流れを帯びた哀愁を、自分の過ぎ去った年齢とを重ねたりなんかして。
そうして度々行く訳です。 老朽は止む無しですが、飼育員さんが合間を縫って設備の手入れやメンテをしてますし、何より動物/生物が興味深く感じられます。見てるんだか見られてるんだか、深い場所です。






行くと大体団体や遠足、核家族、お若いカップルがいらっしゃいまして、賑やかです。お子さんのはしゃぐ声は良いモンです。時間帯による人間の行動が如実に見られたりもします。毎日一定の来園者が訪れております(受付の方に訊いてみました)。
全国的に見て、施設の規模がどうだかと考えたりもしましたが、種類とか数とか面積でも無く、つまり動物の行動事態が非常に面白く思え、何度も行く様になりました。例え独りで行くしかなくなってもw


幼少の頃、動物園は道後にありました。当時は道後動物園です。
トラだったかライオンだったか、檻を見上げていた処、数メートル傍に居た中年男性の方に、猛獣が尿をビュシャーーー!と引っ掛けまして、噴射の勢いでオジサンの髪が靡きました。えらい参った有様です。私の母親は「ギャー」とか「キャー」とか声を上げ、この顛末に只唖然としていた少年の私。

当時の動物園の記憶は是に尽きます。これしかありません。事の衝撃さから、以来道後動物園には行かなかったと思います。 普段は余裕で数日持つカメラのバッテリーが動物園だと、たった半日で干上がります。 そうそう、撮影されてる父兄も多く、多種多様なカメラも拝見出来ます。
楽しくって仕方の無い場所です。
ライオン舎が改装された頃は並んだ覚えもありますが、今は落ち着いて、何処も曜日と時間を選べば周りを気にせず観察出来ます。
まさに楽園で御座います。動物園、温泉、散策、その内 花鳥とか盆栽園とか椿展とか行きそうです。

 愛媛県立とべ動物 http://www.tobezoo.com/
※RSS, SNS Page はありません。更新/ニュースは是非ともSNS系アプリで見たいんですけどね。

2012夏の悪徳アフィー追放運動に思うこと

長くツイートしたものはブログにする活動。そうでないとココの更新が減るので。

アフィリエイト前提且つ無断転載の上に捏造歪曲を行う一連のまとめサイトの利用と拡散行為への注意と指摘、または naver, toggetter への指摘、これ等の個人意見を読んでみた。

掲載情報に関する事実の精査が出来ない者が大部分を占める状態であり真偽に関しては自助努力に依る限り大方そこまで真剣に真実として蔓延させているのではなく、単に馬鹿話を見た記録の記述でしかないと思う。

ブラウザの拡張ツール上位には必ず広告ブロックがランクインしている、企業系のアフィリエイトにも影響があるだろう(欧米のね)。

一々検証しない者達が気楽に戯れた挙句の既成現象に対し真っ当な啓蒙は実にならないだろう。拡散流布の理由に繋がりや協調、良識の共有と提示、付き合いと同調がある。訂正もままならない仕組の上に胡坐を掻いて有事に於いては「所詮無料の投書箱」と開き直りも可能な所だから、せいぜい愉快に騒がしておくのが最寄の考え方だ。

こんなテキトーな状況に意見も虚しさのみ放つ転載に関わる身近な例は、こういったサービスでの各自プロフィール記載が言える。ツイートを抽出して外部に貼り付けることが出来る現状で利用者の殆どが無断転載引用禁止の旨等、記述しているだろうか、またはガイドラインを。

全てを勝手な自己規則範疇に押し込め封殺する悲運もある中で、無料と自由を享受している様が滑稽と感じても、その心象は間違ってはいないと思う。

お盆前の話

長くツイートしたものはブログにする活動。でないとここの更新が止まるので。

親族から「骨壷の骨は無くなる」とか「70年前程度の土葬時代の骨は土に還ってる」とか聞いたが、そうじゃないようだ。まぁ埋まったままの骨があるってことで適当にしているのだろう・・・。テキトーな世の中だ

お盆時期なので墓の話。
独身も増えたろうから先祖代々の墓がどうなるか?と稀に考えるだろう、老いた後に「近所の寺の檀家にでも」と手続きのようなものがあると思うが実際面倒な事になると思う。付近の墓地でも世話人が居ない朽ちた墓がある。

墓の管理は寺または墓地の権利者が有するものらしい。因みに宗派と地域によって違いはあるだろう、一般的な話ではない。子孫が居なくなった時、永代供養を済ませているなら大体寺が面倒を見る。納骨堂があり簡易供養可能な状態だろう。そこでも身寄りの無い家の棚は埃被った状態だと思う。

「生きてる間が大事であって死後は知ったことか」という思想の持ち主は多いと思うが、ピンキリ関係なく人生は波乱なので家庭が出来たり宗旨変わりして途端に「キチンとしなければ」と改心するケースもまた多いだろう。そうは言っても分家は途絶え易く、また分家の果てに直系の血筋が途絶えることになる。なので老朽/放置墓石を見掛ける事になるのだろう。

いずれにしても余程の名家でない限り管理は不可能なので「知ったことか」と締めるのが良いようだ。テキトー尽くしである。テキトーな適当でないと持つものも持たないのは解る。

ちょっくらタイムラ.プス(微.速.度撮影)やってみましたよ

先駆者様サイトを参考に手押しで 273枚、暑かった。



マニュアルフォーカス、ホワイトバランス非オート、中画質中サイズ保存
シャッタ間隔:約5秒/枚、手動273枚
作成:WindowsLiveMovieMaker (0.03秒/枚 30fps)
編集:Avidemux (60fps 変換) 再生速度1/2
- youtubeアップロード失敗 -
対処:再度 MovieMaker 1/2 カット wmv で保存。アップロード成功