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どぅーしてココに着ちゃったの?!
  ここは redo_chan という、よく分らない匿名ユーザーが鉄則から外れてブログっている Blog です。

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キャラクター

「リアルとネットは違う」、この寂れた一言に呑まれた著名人は多い。

何故なら、相手を気遣う為の配慮として「リアルとネットは違う」のであって、該当人種は環境を戦闘区域と位置づけ侵略し報復も有りとする環境下での自愛正当防衛の序文としているからだ。どちらも、人の渦の中へ飛び込む行為として共通しているが、介入環境に実敵存在を強烈に定義する人格思考なればこそ、そのように自滅するのだから。軍事で云う仮想敵となる対象、となる傾向の持ち主ではないだろうか。
分かり易い時期ではあるが多少なりとも苦痛を伴う実状かと思う。同じく"大衆"であるのに表面態度の違いを出し、仮にも公人であることの分別を棄てる人間が少し目に付くことを恐ろしいと思っている。

Draemon the movie

ドラえもん映画の話。

GW前にネットニュースで知った「ドラえもん、過去アニメエピソード中の不適切なシーンを改善しDVD」なる報道。早速、該当するエピソードを動画共有サイトで探してみて確認した処、「あーあwこりゃアカンでしょw」というものでした。
そこから一転、「そういや映画見てないなぁ」

なにせ国家級認知度を誇る長寿漫画&アニメ、僕みたいな中年だって、僕より年輩の人だって、老人だって、もう亡くなった世代でも知っていた。

そうして、子供の頃から親しんだドラえもんの映画作品に絞った観賞を思い付く。
「さて、どれを観ようか」とネット上の評価を当たってみる。今でも名作と言われるものを観てみたい。以下のタイトルが挙がってきた。
  • Doraemon: Nobita's Dinosaur
  • Doraemon: The Record of Nobita: Spaceblazer
  • Doraemon: Nobita and the Castle of the Undersea Devil
  • Doraemon: Nobita's Great Adventure into the Underworld
  • Doraemon: Nobita and the Steel Troops

なんと初期作品ばかりだ。年齢的に 90年代から 2000年代の作品は全く未視聴である。このラインナップだと、2000年代のリメイクも含まれるので比較観賞が楽しめる。観始める前にアマゾンや2ちゃんぬる等で様々な視聴感想に目を通してみた。皆さん中々手厳しい。


pick out of Lullaby of Birdland

Lullaby of Birdland (バードランドの子守唄)はジャズのスタンダード・ナンバー(よく知られよく演奏される楽曲)。Birdland(バードランド)はニューヨークにあったジャズクラブの店名。この店は数多くの有名なジャズプレイヤーが演奏しているメッカ(聖地)でもある。当時の店は無いが、場所を移し同じ店名で今もニューヨークにある(Birdland Jazz Club http://www.birdlandjazz.com/)。店名に付く Bird(バード)はチャーリー・パーカーと云うジャズサックスプレイヤーのニックネーム。Lullaby of Birdland (バードランドの子守唄)はジョージ・シアリングと云うジャズピアニストが作曲した楽曲。後に歌詞が付けられた。

バド・パウエル / Bud Powell - Lullaby Of Birdland
http://www.youtube.com/watch?v=PW9EVC9Yv70

多くのジャズピアニスト中、最もスウィング感あるバド・パウエル。

サラ・ヴォーン / Sarah Vaughan - Lullaby of Birdland
http://www.youtube.com/watch?v=LsYhFFwyD00

往年の女性ジャズシンガーで歴代トップ3に挙げられる広い音域を歌えるシンガー。現在でもこの曲はカヴァーされるが、サラ・ヴォーンの歌を知っていると、他は霞んで聴こえる。

2者共にアクが強い。聴き込むと他では満足できない良さはある。

pick out of Valentina Lisitsa

Valentina Lisitsa - Rachmaninoff Etude Op. 39 No. 6 "Little Red Riding Hood"
http://www.youtube.com/watch?v=tVuP1BjbhAg


Valentina Lisitsa - Paganini-Liszt La Campanella
http://www.youtube.com/watch?v=MD6xMyuZls0

耳を惹くのは速さと技巧らしいですけど、まずはインパクトある演目を初めに2曲。

Valentina Lisitsa - Chopin Etude Op 10 No.12 HQ

フランツ・リストが初見で弾けなかったショパンの練習曲と云う名の誰もが聴き覚え有る曲

Valentina Lisitsa - Beethoven "Moonlight" Sonata op27#2
http://www.youtube.com/watch?v=zucBfXpCA6s


Valentina Lisitsa - Chopin "Nocturne" E Flat Major Op9#2
http://www.youtube.com/watch?v=tV5U8kVYS88

余りに見事過ぎて噴いた。お手本の様なタッチ/音色。ちょっと引っ掛かったフレーズに聴こえる箇所がある、好みの問題。

Valentina Lisitsa - Chopin "Polonaise" Op26#1 in C# minor
http://www.youtube.com/watch?v=A9Q2G66c9kY

ショパン(ワルツ)はピアノで云う速弾き競争の課題曲みたいな扱いをされがちなので、そこから外れた曲を挙げてみる。

ショパンで検索すると間違いなく列挙してくるピアニスト - Valentina Lisitsa さんでした。
Official youtube Channel https://www.youtube.com/user/ValentinaLisitsa

profpic

twitter のプロフィール画像用に何か描いてみようと思い立った。

よくあるアニメ調のイラストやデフォルメイラストなど、twitter ユーザーのプロフ画像を色々と閲覧してみた処、プリクラ調の本人画像に目が行った。これをヒントに自分では無く、架空の女子を描こうと捻くれてみる。

架空であるからして誰かに似ているようでは肖像権上マズい。そこで、モデルさんやタレントさんのお顔を参考に形の気に入ったパーツを抜き出し組み合わせた上でスケッチしてみる。ラフから採用し描き直しを繰り返して ver.7 。

お粗末さまでし

まだ PSE(Photoshop Elements)を使って描くのは不慣れなのだが、投げ縄ツールを使った選択領域の編集(色彩色調補正&ボカシ)または自由変形(移動&拡大縮小)が便利だと今回分かった。

領域選択したままでカラー調整やフィルター効果を適用出来ることを、今回初めて知った訳ですよw

仕上げに顔レイヤーをコピー(Ctrl+J)>ぼかし(ガウス)27px>ソフトライト、これを行うと発光具合が良くなる。誤魔化しが利くようだ。

レイヤー構成は、1)頭部&首元レイヤー、2)左記複製レイヤー(ソフトライト)、3)肩下レイヤー、4)肌テクスチャレイヤー(オーバーレイ)、背景グラーデーションレイヤー、合計5レイヤー。細かく分けた方が良いと思ったけど、整理整頓苦手な質なので結局一枚に統合して修正修正。これ以上の描き込みは技量不足で無理ですわ


興味の傾向は一年周期らしい。左右反転でバランスを取ってなかったのでグレイ50%オーバーレイ乗せて、白or黒で明暗(凹凸)を出してみた

https://twitter.com/redo_chan/status/327409497100410880/photo/1 22:11

https://twitter.com/redo_chan/status/327409497100410880

PhotoFunia :: photo effects, filters, free online photo editor
http://www.photofunia.com/
オンラインの顔写真合成サービスで遊んでみた。
effects,Labs,Cardから効果を選び、アップロードした画像を適用させる。レタッチソフトを使うより簡単で遊びに使うには良い。

包茎について

長くツイートしたものはブログ記事にする作業。こうでもしないとココの更新が滞るので。また、多感な青少年の悩みを和らげる意味で、こう云った記事をたまに掲載しています。

韓国人男性8割が包茎手術を受けるのは朝鮮戦争が起源との説 - NEWSポストセブン
http://www.news-postseven.com/archives/20120429_105613.html
また変な記事だね、ブームが実状暴露になっちゃ困るんじゃないの?
上の記事に関する補足になるサイトを見つけたので紹介しておきます。

包茎一番|韓国の統計
http://houkei.golyz.com/cat62/000581.html
さらに現在では、包皮切除が文化として、包皮切除が半ば通過儀礼としての文化も形成されるようになっています。
最近では、減少傾向とまではいきませんが、包皮切除の医学的メリットが無いことが韓国医学会でも報告されるようになり、今後減少傾向にたどるかもしれません。
こちらのサイトさん、かなり詳細多彩です。雑学好きや興味あるなら是非訪問を。リンクページ下部に論文(1999年1月、英文)のリンクも添付してありますので宜しければ一読を。また以下のサイトもどうぞ。

「媚薬イベント」で岩井志麻子が暴走エロトーク!「韓国人はセックスがヘタ」 - メンズサイゾー
http://www.menscyzo.com/2011/12/post_3279.html
3年前に18歳年下の韓国人男性と結婚(岩井46歳・夫28歳)した岩井は、日韓の男性のセックステクの違いについて語った。「韓国の男はみんなチンコが小さい」「彼らは工事現場のドリルみたいに腰を動かすだけ。精力はあるけどヘタ。女をイカせることより『自分は何回イケる』ということが自慢」「日本の男は芸術点が高い」「韓国の男はみんなズルムケにしている。仮性包茎が多い日本の方が情緒がある」
と仰ってます。余談ですが、記事中で岩井さんは
「突撃日本兵として海外の列強と交戦してきた」と、韓国以外の外国人男性との性経験も披露。
と語ってらっしゃいますが、その経験の中にとても怖い話があります。もしかすると動画で上がってるかも知れませんので、[岩井志麻子 怖い話]で検索してみて下さい。

上記3点の記事から、まだまだ整形手術として継続浸透しそうな隣国事情かと思います。しかし成程、虐めの原因になるのは深刻だったと思います。けれども、こういう事情を除外し、"男性が行う常識的な身体検査" と考えればメリットはあると思いました。一口に包茎と言っても種類があり、性交に支障が出るものや、それ以前に勃起障害となる深刻な症状もある訳です。
日本では「男性の半分以上が仮性包茎だ」と、よく言われています。軽く30年前から成人向け雑誌にはクリニック治療や自己治療グッズ等の宣伝ページがありました。これを見て男子は「あ、僕のはムケてない」とか気にし始めると思います。第二次成長期に際し、女子には説明と指導がありますが、男子は特にありません。コッソリ見る青少年向け雑誌で症例を知る訳です。包茎には深刻な症状もあるのですが、学校や親が気に掛けてくれる機会は少ないと思われます。

ですから言えずに悩んだり、自己申告に勇気が要ったり、男子は男子で苦労を背負う場合もあるのです。こう云った事もありますので隣国の様に、通例や通過儀礼として殆どの男子が行う事であれば、男性器のトラブルを防ぐことになり、また申告や治療時と術後の恥じらい等も薄れると思われます。記事内容をどう受け止めるか老若男女それぞれと思いますが、メリットはあると関心を持ちました。

幸い、日本では「露茎はオトナ、包茎はコドモ」という子供染みた区別呼称であり、虐めの原因になることは稀だと思います。多感な青少年の悩みを和らげる意味でこう云った記事をたまに掲載していますから、正直なエピソードを記載しよう思います。私も仮性包茎ですが、虐めや詰られたり貶されたりした事はありません。周りで起こった事もありません。
連帯感や友情を特に深め易い高校期では仲間内や男子全員で行う包茎申告もあり「俺も、俺も」と相槌や挙手し合い、これが親睦なんかになります。例えば修学旅行や合宿です。普段は大人しい男子だけど大浴場で露茎且つ見事なサイズだったりしますと、イキナリ評価が上がります。「アイツは脱いだら凄い!」と敬意さえ持つ訳です。普段は傲慢でも男性器を露出する局面では意気を抑える男子も居ます。まぁ、そこは周りが察して特に何事もなく遣り過し、今後それを持ち出し卑下したりはしませんでした。これが集団生活に於ける付き合い、社交と云うものだったりなんかしちゃったりするのです。またスッカリ大人になってからですが、数人で温泉(サウナ)を楽しんだりする機会があります。特に親しい仲では、ウッカリ皮が被った(戻った)状態である事を教えてくれたりします(あくまで私の周辺体験ですが)。例えばYシャツの裾を直すような、身嗜みってやつです。裸にタオル一丁で闊歩する場ですから、正す所はイチモツしか無い訳です。前を隠して移動するのは如何なるイチモツ事情であっても宜しくありません。老いも若きも善人も悪人も裸になれば只の男同士です。前を隠すと姿勢が悪くなります。潔く開放し背を伸ばし胸を張ることが裸の空間では大事と思いますよ。

次はこの記事に関するクダけた意見です。
この記事で、スレッドやまとめスレが上がってるけど、それを閲覧した仮性包茎男子が気に病むことは無い訳です。包茎だけでなくサイズも含めて意見しようと思います。

相愛する男女の営みでは、形状の相性とか適度な持続とか清潔感やコミュニケーションが寧ろ大事で、包皮がどうとかは心象問題。「敏感だから早漏気味」と言われるだろうけれど、刺激に慣れると持ちは長くなっていく。緊張して反って遅漏状態になった経験話もよく聞く。ラオウ(漫画のキャラクター)が「我が肉体は無類無敵!されど哀しみはこの肉体を凌駕するというのか!」と言ったとおり、気持ちが優先するモノ。兎に角清潔にしておくのが一番、これは女子も同じだよね。トイレなんてパパっと簡単に紙で拭くだけじゃん?結構臭い残るし、残留物が付着してるんだぞっと。身を清めてない女性と事を致した経験が何度かあるってこと。但し男子は女子の中に入るので、こゆ時もササっと綺麗にしてから行おう。この点を女子は確認し「(男子)口でキレイにして」とかいうプレイ申請は却下すべし。包皮男子を気にする女子は、だったら自分が綺麗に執拗に洗ってやるべきじゃないかな。清潔を心掛ける包茎男子は、どんなに容姿端麗な女子でも肝心の秘部に不潔感を察すると当然萎える。極端にクンニリングスを敬遠する男子は過去にトラップを食らってる。女子も逆にチェックされてる。
清潔感、つまり普段の生活行動が大事。ほら、包茎とかサイズとか身体的な話じゃなくなったでしょ。性行為もこういう事が基本大事。

意見を整形手術の記事に戻すと、文中に「集団生活下での恥を回避する為」とある。これは日本でもあるだろう。確かに他人のイチモツは気になる。けれど寮生活してる奴らは、こんな事は気にしていない(まったく温泉慣れしてない男はホント他人のイチモツをチラチラ見るけれどw)。イチモツは使う時に本領発揮するモノ。サイズじゃないんだよね。

「おまwホーケイじゃんwww」と囃されてもクールに「オレ、イザって時は凄いんですよ」と言っておけば良い。童貞でも構わないよ、だって一人エッチで性行為時のレスポンスは計れない、サイズも実際の性行為内容は計れない。肉体より精神(気持ち)なんだからね。

日本は世界に誇る JAV のお陰でサイズとか形状よりも性行為の内容、つまり変態 / HENTAI 性と云う印象が浸透している。だから、外国人男性は「ジャップめ、こんなスモールデリックで何故あんなFxxxを考え実行するんだ、全く恐ろしいぜ・・・」と思われているかも知れないよね。この点から日本人男子は包茎であることを気に掛けないのかも知れない。これは甘えと取っておこうw

隣国事情を知ると、日本男子は「大きい小さい剥けてる剥けてない」を余り気にし過ぎない傾向である事が少し見えてくる。外国人との集団生活でも恥じる事は起きないと思うよ。だって、デカイ事は知っているし、宗教上割礼当然なのも知っている。尤もデカいイチモツには畏れ敬意を払うから「うおーYOUスゲーじゃんよ」って褒めたりするかもじゃん?
褒められたらフツー喜ぶと思う。反って仲良くなれると思うんです。「オレラ ノ クニ ジャ、コレ レギュラーサイズ ダゼ・・・」と思われても、先方は何かデカくなった気分を味わえるし悪くは思わない筈だ。
で、既に世界平均ランキングは頭に入ってる。変態性で世界に轟いているのも解ってる。そんな日本男子なので「ニホンジン、チッサイヨ」と言われても、「日本人はこんなもんじゃい、実戦仕様って知ってんだろ?」と言えば多分納得する。世界を席捲した MADE in JAPAN ブランドを男性一人一人が持ってる訳だ。

さて「自分はムケてない」と思うかどうか?だけど、これまでも言ったとおり、余り気に病むことではないようだ。これは男性同士、お互いそれぞれの変態性を憶測し窺いつつ尊重している心理行動が確立されてると思うんです。相手の未知の変態性に惧れを感じていることだ。簡単に言うと、サイズや包茎とかは問題じゃなく日本男子一人一人が「オレって変態!」と自覚しているから相手に対しサイズや形状より「奴はどんな変態なんだ?」と勘ぐる方が優先な訳w つまり本質を意識して優先している、と考えている。

侍は居ないが変態は健在だ。外国人との比較で外観面を恥じることより、モノの本質を本能的に理解して互いを意識し協調する日本男子は、確かに世界最強の HENTAI 男子民族だろうね。

以上、青少年達の悩みが解消されますように。

spring,oh silence

PV
実在人物らが起こした、あの春の行動の断片が流れ、それぞれの憤りが映される。ある種の領域に達した表情を皆一様に備える。そこに達した彼らの、これまでの素性までも見えてきそうなカットの数珠。これまで培った全人生を奮わせる主張行動の矛先は、得体の知れない利己集団の総体だけではなく、これを見過ごす不特定多数の無表情な群集にまでも及んでいそうだ。相反関係下にある者同士を一対一のレベルにまで落とし込むと実際は相手を責め切れない。どちらかが意地を通し切るか諦めるか、または相手の存在を討ち消すしかないないが、これは許されない。そこで反体制と捉え敵視する。一人じゃ心許無いので共通理念体の一部に組する。そうして漸く一人独りが自分本位の主張を社会的に見て正当な主張群に融合させて落ちつく。共有化される果てにある恍惚感は結局両体制にある事かも知れない。尤も掃いて棄てる利用価値の一片となるか逆に利用するかは個々の思惑に依るだろう。
自分自身を恥じないことが持続の要(かなめ)だが、節目で省みる時の仮に恥となる部分を受け止める覚悟があるかないかは大事だろう。そもそも恥とも考えなければ面倒は減る。世の中は変わる。自分にとって制御の利く絶対的普遍世界じゃないんだから。自分の声を反映させるなら時には流れに乗ってみて変わってみせる工夫は要る。自分を少数若しくは大多数のどちらへ振るかは好みの手法でしかないだろう。手法すら拒めば誰も話を聞かなくなり何処の誰とも接触しない理由になる。こういう覚悟をしてしまったら自己思想とか自己哲学は生きるか死ぬかのどちらかに落とし込まれる点を解ってるかどうか。確かに「先の事は判らない自分」が何者か解らないでいるままの行動は自己理解不足だし、外部治療不可能の甘えだとは思う。例えば「生まれてしまったら負け」、この一文をどう思うか、どう受け止めても構いはしないが。
自分が生き易い世界を他人も棲む公共空間に構築しようとするのは自分の人生と命だけじゃ足りないんだよ、と慰めて上げたくなった。