Blogger Discrp

どぅーしてココに着ちゃったの?!
  ここは redo_chan という、よく分らない匿名ユーザーが鉄則から外れてブログっている Blog です。

文字を大きくする Ctrl or Cmd + + 小さくする Ctrl or Cmd + - 元に戻す Ctrl or Cmd + 0

Japanese comedy

27時間のネット話題から。

今の所、昔も今も TV バラエティの定義は変わってないようだ。バラエティは未だパッと見て社会悪的な企画でも、当事者たちが見事にお笑いへ変換している。如何に笑いへ変換するかで、番組の印象と演者への評価は決まる。ずっと昔、共演者の自家用車を乗り回しブツけた突発生放送事件に、当時の未熟な僕は凄く引いてしまい、以後バラエティ番組は敬遠した事がある。ところが見返すとコレはちゃんと笑いになってるんだよね。

当時を思い出しつつ、昨日の話題(スポると企画)に触れてみる。笑いの焦点がボールをブツけるだけに終わった事で、競技選手達の立場が無くなってしまった事はスポーツに対する侮辱に映っただろう。「日本に笑顔を」と言う番組主旨だったから選手達には分っていた事だろうけど、TV業界とは無縁の競技者や視聴者からすると、この点にはズレがある。イマイチな印象を与える若手芸人の拙いリアクションには感情が無く今時の若者を代表したようなクールさがあった。大勢居た演者の中で”笑い”を考えていたのは少数の面子であろうと、演者個人の表情や言動から判別出来る。後日当事者から弁解があったが、後日談は無意味である。生放送は勝負じゃないかい?そういう世界でしょ。

演者は、受取り手(視聴者)のバラ付いた善悪観へ、乱暴に踏み込みながら「これは笑いです」と結論足らしめる事になる。これは非常に高等で厳格な芸だ。だからこそ演者個人の理念や思想が定まっているかどうか、生と生業に対する確固たる意思や素直さが重要だと思う。こういった素面、つまり人間性は表に出にくいエピソードから分ってくる。それだから今でも北野氏と杉本氏は偉大とされるんじゃないかな。笑うor笑えない、の判断と結果はリアルタイムと後日では評価が違うって事を冒頭に書いた。視聴者でも番組の事情がよく見えてしまう今、この食い違いの理由は、演者だけではなく視聴者も含めた各人の人格形成度にある。後々良い評価に変わるならバラエティ演者の人格が上がった事だ。捻くれてしまっては何もかもクダラナク観えるだろう。
どこまで笑いで済むのか、どこから嗤いになるのか、どこで転落するのか、彼らが天才演者なら全て笑いにしてくれるのだが、残念ながら多数協力し合って笑いにする場合は視聴者各人へ判断を求める事になってしまう。こうなると安易な集団同調が起き、悪いパターンにハマってしまう。安い笑いはウケないので世間の一部が騒いでしまった。そうして、こんな僕まで意見などしてしまう訳だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿