大衆の意向が必ず正しいとは言えない、保守であり消極的であるからだ。
しかし結局拙い方向に落ち着いてきた、と言えるのではないか。
こんな今でも、時代を反映する過半数の願望を叶えた世の中なのだ。
大勢の僅かな意見反映が、今のこの実状と交錯を重ねる。
そして、この謂わば困窮の世に合わせる事が、総じて協調性とされるが
是が最も拙い。
数十年から、靡き倣う国民性は短所として指摘されてる筈だが、相変わらずであり
利用もされている。
やりたい事より、やらねばならない事を優先しないと先はない。
苦渋の選択が良い結果を生む場合が多いからだ。
苦あれば楽あり、苦あれば楽あり、、、の繰り返しを怠ると、楽して苦が残り積み重なる。
此れが今ではないか、正しい我侭がある、是に意識が向かないと堅実ではなくなる。
新しい情報や論理がウケる、と分っているからメディア工員は常に持論の更新と
仕様向上を文面に表す、謂わば人気取り商売なんだろね。
沢山ある特権団体が「それはちょっとマズイ」と漏らせば進捗が滞る。
けれど、最も力があるのは団体は大勢の総意だから、ここへ同調し、ここの意識を
操作すべく、日頃から工員は活動している訳だ。
仕様もない暴露混乱ニュースに、まず感情を動かされている場合は多い。
頭を捻れと感じる。部分的に診ても仕方ない物事がある。
何を言えばどうなる何を行えばどうなる、イケナイ事は何か、大まかに穏やかに診る。
そうして、何が優先され何が必要とされているのか、尤もたる処が解っていれば
グダグダ言い合う事も無かったろう。
ガラクタな意見に付き合うと足が止まる。外れた意見には、ちょっと弄って
早々警戒対象に指定するべき。
だから、大方の時事意見なんてものは、単に感想を伝達するに留まるだけ。
こうしたものが蔓延ると雰囲気までも蔓延し、大勢のオツムが右倣いの認識になり
やがて模倣、そして洗脳へと移行してしまう。
社会に陰謀や腐敗や不正があっても、これらに影響されることなく無関係に生きて
これたと思う人は特に、倣ってしまう事に注意してほしい、と思う。
僕は大衆になれる資格を持ち合わせていない、逸れ者だ。
個人を意識してしまったので、社会からすれば危険人物なのだ。
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