Blogger Discrp

どぅーしてココに着ちゃったの?!
  ここは redo_chan という、よく分らない匿名ユーザーが鉄則から外れてブログっている Blog です。

文字を大きくする Ctrl or Cmd + + 小さくする Ctrl or Cmd + - 元に戻す Ctrl or Cmd + 0

observation, comparison, experience, philosophy

「twitter依存」

なる言葉を見掛けたので「依存」と関連し「孤独」についても軽く調べていた。
読書せず検索、とは確かなネット依存であろう、すると亡き三木清氏の格言に斯うあった。


「三木清 - 『孤独は山になく、街にある。』
一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にあるのである.」



全く其の通りだ。以前のツイートを思い出した。

「形ないものを形にして形で得た後に孤独を知るのは遅い。
集団社会は孤独ではなく疎外感を与える。
人は人を疎外し、孤独と言い換えさせ、追い込むに過ぎない。
個体の差異を重要視すると傲慢な恐怖に駆られ頭を悪くする、しかしそうはなれない。
地上最後の一人となっても僅かな自然があれば孤独は無い。
10:53 PM May 2nd via web」

草むらに身を潜め、周囲に溶け込み、生き物を観察する中で気が付いた。
時間は直ぐ過ぎる。常に風と光が変化している。その都度植物と樹木が唸り、生き物は騒ぐ。
下手したら数羽のシジュウカラが警戒せず寄って来る。振り返っても逃げなかったりする。
驚きよりもワクワクする。テーマパークなんてお呼びじゃない。

人間は仕事や学校や家庭に合わせて一日を行動する。
電気のお陰で多少の夜更かしが出来、夜間も労働や行楽を行える。
先を見て進路や予定や老後を計画する。行く末と寿命も不確かだが。

社会に確りポジションを確保していれば、そこで必死に生きてしまう。
間違いではないが、そもそも何処に社会が築き上げられたかを考えると、地球上である。
視覚が感覚する目に見える世界で人は、人として生きようとする。
この形が無理矢理に思えてしまう程、元からある自然を都合よく加工しているのではないか
と考えた次第である。
人間は、人間らしくあろうとするせいで反って孤立してしまっているのではないか
と思う次第である。
良くも悪くも人間として生きるのが、こういう事なのかとね。

だからと云って人間社会を否定する考えはなく、全世界を知ってハイブリッドに在りたいと思うだけだ。
「生きている間に死ぬ」と云う仮想命題検討は到底理解されるものではないが
「仮に肉体の拘束を免れた時、残る精神は時間と場所と空間を超えて活動出来る」と
願ってしまう希望的概念であると思う。

SF が描く宇宙開拓は空想ではなく、見聞と対比から今を生きる自己世界を振り返る為の
当然の人類行動と思う。

自分を知る、自分らしく生きる
何処に生きているか確認する、何時の時代に生きてるかを想う、どの空間に存在するか想う。

これら共同体への帰属なくして、個人主義と自己構築は無いと思うのだが如何かな。

0 件のコメント:

コメントを投稿