あらゆる視覚世界に通じていても本質に届けない時点で誰もが盲目である。
況してや、自分自身さえ、よく解らない存在なのだから。
正常や普通であろうとするよりも、まず自分の狂った部分を表に出せば、少しは気が晴れるだろう。
見せないだけで悪となる。当らない部分に光を当てやれば、狂気さえ凡庸になる。
相手の心理を突く場合、どう解釈されるかの印象によって発言者の人格と知性が知れる。
この最も初歩的な点を抑えるまで、よく攻撃されると良い。
理解し合えない、という限界を当然とし、超えていく意思と容量を備え増やしていけば
共通点を見出せ、多少なりとも理解が育まれる。
完全に知る、完全に理解する、ことは大事でもなく真理でもない。
神にでもなりたければ、止めはしない。
しかし、これを更々諦めるのであれば、正常な視覚器官を備えただけの全盲となるだろう。
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