Blogger Discrp

どぅーしてココに着ちゃったの?!
  ここは redo_chan という、よく分らない匿名ユーザーが鉄則から外れてブログっている Blog です。

文字を大きくする Ctrl or Cmd + + 小さくする Ctrl or Cmd + - 元に戻す Ctrl or Cmd + 0

リアルタイムな発信を拾って学べること



先月に行った野外ライブのツイート抽出。これに味を占め、特定イベントのツイートを抜き出し編集の真似っこをしてみようと目論んだが、以後開催される世界中の興行全てに適用できると思うなよ?と云う現実を書いてみた。





先月 twitter を用いて、遠く離れた場所で開催された野外フェスの観客が投稿共有していくツイート群をリアルタイムに抽出していく事で得られるライブ感ってやつを体験し楽しめた。その後ちょっとした編集掲載に味を占め、((また機会があればやろう)) と意気込んでいたけれど、今後も開催される興行全てに適用できるかは全く別ですよ、と云う現実が早々解った。大事なことなので二度書きました。

その記事の前書きに「今時の共有サービスツールを使い、リアルタイムで大規模屋内外フェスを追うと視聴とは違うライブ感(二次発信/抽出/選択/構成)を味わえて良い」と書いた。下品に言ってしまえば「他人のツイートを覗き見る」ってことだね?


ざーんねーんでしたーー!!!
twitterはニュースツールなんだ。開発運営のエライさんが、そう言ってるんだよ。
まぁだから未成年とか中年とかジジババとかが「突然干渉してくるな!」とか言い返しますけど、最早独り言呟きツールじゃないってことを念頭に置かないと多数派の少数黙殺心理に叩かれ人生オワタになりますよってことだ。

さて、数万円するチケットを購入して遠路遥々数万円の交通費を掛けて入来場した観客らのツイートを拾う事は「タダでライブを盗み見して楽しむことだ!」と主催社は考える。「共有は損害でしかない」し、画像だけなら未(ま)だしも動画も記録/アップロード可能となれば、イベント主催会社は携帯キャリアメーカーと Apple と youtube と facebook と twitter を相手に損害賠償請求訴訟を行って当然だ。勝訴すれば多額の保証金、権利と名誉を手に入れる。近年まで音楽(業界とその特殊世界)が聴衆に与えてきた嗜好欲と妄信心理、この二つの大きな魅力を音楽商人自らが手放してしまって久しい。感性だけ飛び抜けたアーティストらが自らの人間性・人格・道徳倫理の欠如をお客様へ見せてしまった結果、それまでの求心力やカリスマが消え失せてしまい、最早夭折とかでゆー伝説にしか純粋な信仰心を見ることは出来ない。

経済力のない所謂コジキ~物乞い聴衆の違法行為が音楽を破滅へ追い込んだのではないのだ。

そんなことはさて置き、コチラとしては受信出来る共有投稿の断片を集めてライブを再現するつもりはない。海賊ビデオのような時折カメラが地面を向き暫くして再度撮影されるような盗撮動画を見るつもりもない。万が一 高画質な盗撮動画が挙がってきたとしても"ライブ感覚"の無い物は全くを以って不要だ。ライブなのにライブ感の無いパッケージ(映像記録媒体DVD~Blu-Ray~ST)は多い。例えば‥嫌なら見なければいい!スポンサー?知るかボケぇ! 芸人さんが、未成年向けスマホ課金コンプガチャで荒稼ぎし過ぎて民主党政権時代にも関わらず消費者庁の誰かからクレームもらった企業のCMに出演していた水商売&ドカタ系ファン対象のダンスグループ、との病み上がり無理矢理コラボ企画~武道館で踊ったやつのDVDとかだ。言って置くがオファーシリーズ「ジャニーズ編」とか「ライヨンキング編を」リアルタイムで見た彼らと同世代の俺様なのだ。だからこそ奴等の情けなさに対しちょびっと位厭味を言ってもよいだろう。

ともかく、公開中の映画をスクリーン盗撮したDivX avi動画のように 気が向いた時に直ぐ検索で挙がってくる youtube 動画のようなものを、ライブ開催中に観る気はない。地球のちっぽけなこの島国日本の、新潟の(フジのフの字も無い)或るスキー場から発信されるツイートを、わざわざ検索単語を割り当て抽出して、逐一それらのツイートにある画像と動画が本当に対象となるライブのリアルタイム発信なのか確認しつつ、疑わしいツイートは日本語も英語もスペイン語も関係なく全てチェックしながら、ライブ実況として正しく的確なツイートを Favo/Retweet に振り分けつつ、Retweetして安全か?誤解や間違いは無いか?を判断しながら二次発信したのが先月の結果だった。

そして今月 summersonicという日本の東西大都市で連続連動興行される祭典があり、再び何かしらのライブ感を得られると思ったのだが、全てに於いて見当違いだったと解った。翌日に再度検索し直し「止めて置いて良かった」と再確認出来た。リアルタイムでオーディエンスのツイートを拾える事態は稀なのだ。会場は何処もそうだが、プロ機材は勿論のこと携帯機器での撮影を禁止している。ステージ上のアーティストに記録機器のレンズを向けてはいけない。とは言っても建前だ。しかし何故に観客の発信がイマイチだったのか。

今時死に掛けのカミメディアとデンパメディアが、ちゃんとライブを報じられない状況にあって、その体制側が忌み嫌い利用もする youtube でライブストリーミングを行ってもキチンと報じている事には決して成り得ないのだ。そうして一般に丸投げしておき、美味しいところで搾取する。自社に有利な偏向解釈で一挙両得だ。従ってクチコミならぬ共有による拡散宣伝効果から或る程度の撮影を認めている。今時のスマホとクラウドサービスなら16秒程度の動画が世界中で閲覧出来る。「16秒もあれば十分違法だ!」と言う興行運営は拡散性が齎す興行収益拡大への道を塞ぐ無能なので即解雇だ、業界から抹殺して結構だ。一々説明するまでもない。

そうして観客がアップロードしてくる動画像は紙面やサイトを飾る申し分ない品質足り得ないが、ライブのツイートに重要な要素である温度感と空気感が在る。直感できるライブ感がその動画像(というデジタルデータ)に感じ取れるのなら手振れ画質でも非固定アングルもOKだった。実際は発信者が優秀で信じられないほど素晴らしい動画像が多かった。そもそも放映メディアですら完璧な生中継が不可能なのだから、一般人が行うライブツイートは当然ライブ感覚重視だし、これが自然で良い。(五月蝿いメディア側は、だったら金取れる映像媒体で広告費や販売収益を上げれば良いし容易い)


にも関わらず遠慮が有ったのか、大興行のワリにはサマソニには期待外れだった。‥いや寸分待て、寧ろ先月末のアーティストだけが異常な程にSNSメディアとその扱いに素晴らしく超絶長けているのではないか?
だからこそ攻撃的で天才的なリミックスアレンジとライブ演出力が齎す以上の、世界的な爆発ヒットとリスナー支持と知名度を得ているんだなと思った訳です。そしてリスナーが用いるコミュニケーションツールは当然アーティスト側も一人の人間として使用する物で、その辺の利便性を感覚的にでもいいから理解しておくと爆発的なムーブメントに発展させることが出来ると感覚で解るのだろう。
今時流行りの伝達ツールを使って、勝手に交信しまくるリスナーら聴衆の取り扱い方法(扇動~大衆操作)に最早、古い新しい/好き嫌い/信念寛容は無く、混沌とした集団共有行為を傍観的且つ中心的に用いて─まるで水面に投げ込む小石と波紋との関係の様に─ 済ませる事こそが、多分 音楽を用いてヒューマンピースアイラブユーサンキュベイベーと叫ぶ連中らが究極のハッピーだぜイェーイ!とすることなんだろうとフィールアンドアイシンクしました。


さて、どうしてサマソニはSNS的に見ると全然盛り上がってない興行なんだろうか。
先月のフジ野外フェスに於いて、収容人数約1万人の野外会場から発信したいたのは約70人程だった。大体毎年雨降って足元ぬかるんで長靴必須なイベントで稲光と稲妻音を背景に雨の中スマホ掲げて逐次アップロードしてくる奴等も奴等だがwww もう本当によく訓練~自己鍛錬したフジロッカーが70人も居ればてんてこ舞いだ。
つまり、日当たり延べ4万人の動員を誇っても、ピックアップされるSNS投稿を見れば共有なんて行為は極一部だけが騒いでいるだけのマイナー行為で、一般的に多くの人が煩わしい行為だと思っているのかも知れない。だから賢い興行主は宣伝拡散の利用性を採り、スマホ規制など細かいことは行わないのだろう例え警備スタッフの頭数が十分だったとしてもだ。
そうして、時代を反映するアーティストとそれに相応なリスナー関係ならばこそ、一昔で言う"クチコミ"の様に知名度へと繋がっただろうが、しかしサマソニのように所変わればアーティスト変われば、ガクンと共有投稿は減るらしいのだ。それは「ピックアップしようかなぁ」程度の意欲も湧かないイベントであり、果てはワザワザ観に行かなくても良いフェスとしか受け止められない。

これは大問題だぞサマソニ!感動の発信量が少ない興行が果たして興行と言えるのだろうか?
大都会という装飾と収益上だけ、"立派なオラが街のローカルコンサート"でしかなく、出演するアーティストらも本音では「出演料稼ぎさファックイェーイ!」と考えているかも知れない。案外正解かもしれない。交通アクセス良い都市部アリーナ興行の割りに、ワザワザ出向いて行く野外フェスとでは、集まってくる観客の質、音楽と興行を楽しもうとする姿勢の違いが、こうも共有行為(に繋がる衝動)の意欲度に差がつくほど現れるものなのか。

実際のライブ映像が貴重だった時代なら兎も角、新鮮味も感動も薄い低レベルのパフォーマンスを見せ付けられる昨今のライブ映像なんぞより、そこに集まった約4万5万単位の人々が好き勝手に発信してくるデータこそ今は価値がある。様々な思いで切り取ってくる時間の断片、文字/(連続)画像(表示)データこそ今の時代では価値が高く、一昔前の製品に勝るのだ。これが分っただけ運が良かった。

自分自身の実体験も大事だろうが、数万人規模の発信を受信し疑似体験する事とを比較した挙句に「そ、それでも自己体験が勝る」とは案外言い切れない時代でもある。事前の情報収集も捗る今「噂~想像以下だった」と感じるケース、「百聞は一見」の残念版だが、色々と先行考察し過ぎると期待外れに終わる何かしらの興行もある。

こうして通常のライブ体験に加え、抽出/二次発信/編集を併行して行う事で得る特殊なライブ感まで知ってしまった場合は厄介だ。以後は「ライブ行ってそこでそこに居る皆のツイートとか抽出しながら『ほれ見ろ今スゲーことになってるぜ!』とか共有投稿し、慌てふためきながら自らドンドンテンション高めてツボっていく」ようなライブ参加じゃないとお満足出来ないような、まぁそんな人達がメディア(ディレクタ)だった訳です。


最後に、まとめ行為について。
何気にSNSアカウントを個別に閲覧すると、そこには日々を綴る画像や発信文が在ります。これまでに蓄積されたポートレートな膨大な私的データを眺めていると、物量~自重によって発生する磁場のような貴方たち一人一人の残留思念があるような感触を得たりします。それを無関係な他人が様々な形で感じ取り切り取り拝借することで、この社会を部分的に抽出する材料になったりします。SNSの投稿を素材にして何らかの纏め作業をする際、それが特にアルバム編纂に類するもので編纂対象となる事象に参加または不参加だったとしても、これこそが有益な視点の違いとなります。そうして物事が形を変えて編纂されていき、正史では在りませんが確かな史実編纂になっていくのです。これは歴史編纂上から見ても正しいのです。


ネットサービスを利用出来る限りに於いて私達は、今後もより一層発信と受信を切り替え両立しながら、これを世界共通の行為とし、そうして世界中の皆から得られる情報を見て触れる事で、無意識の相互情報交換関係となり、世界を巡る感動を交換・伝達しながら心に満足を、恩恵として受け取り合うのでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿