Blogger Discrp

どぅーしてココに着ちゃったの?!
  ここは redo_chan という、よく分らない匿名ユーザーが鉄則から外れてブログっている Blog です。

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SNS の感想

長くツイートしたものはブログにする活動。そうでないとココの更新が減るので。

果たして必要なツールになるだろうか、災害が実用性を見出したけれど、一般人はSNSから離れていくように見えている。やはり日本は近代的村社会なのだろうか、世代格差はあるけれど、世代に関係なく根っこは共通しているようで残念に思う。ほら、やっぱ変革するのが自然だし。

通常ブログはやっぱり Blogger (blogspot) が一番使い易い。雨ブロだかFCフランチャイズ2ブログだが、指摘されている記事を見掛ける。足で稼いだ膨大な情報を残念ブログに連載している方を見掛けると「こんな優良ブログを何故ここで?」と残念に思う。ノンアフィリなのにFC2、ミーハーでもないのに雨ブロ。
自分も居を構える為に色んなブログサイトを試したけれど、当時(2010)国内知名度の高いブログサイトは残念仕様だったよ?

アメリカの高校生に聞いてみた。「いま、ホットなソーシャルメディアはなに?」(1) | AdverTimes(アドタイ) 結城 喜宣(Ys and Partnersエクゼクティブ・クリエイティブディレクター)/結城 凛子(17歳)
 を読んでみた。復習と予習になった。

日本の Facebook の使われ方は今ひとつ残念かも知れない。必要以上に企業を介入させる風潮が余計かなと。日本の風土が関係してしまうせいで先の要素が必要になるのだろうか。悪い意味での社会情報獲得かな。それか、知り合い同士だと間が持たない、というか何か。いい加減な実名登録SNSを浸透させる為に組んだ広報戦略が後々日本での fb に普及にどう影響するだろうか。

本場の学生諸君は学校内の行事や試験に無くてはならないツールとしてfbやskypeやyoutubeを挙げている、と上の記事にある。本当に道具として使っている。「みんなやってるから」なんて云う流行じゃなく、実用的なツールなんだ。

さて、日本で特に浸透している twitter 。これは中々使い易いよね。日本語や中国語だと 140文字で結構書き切れる。英語圏なら250文字くらいが適当かと。TW内検索で英語やイタリア語、スペイン語をよく見掛ける。だから、中々浸透してると思っていたけど、特定層の集計では使用割合の少なさが確認出来る。日本でも若い人、20代は同じ結果になりそう。何故なら、社会で人生を謳歌する期間だから、ネット如きコミュニティでは収まり切らないと思っている。twitter の更新が絶えがちになった 20代を見掛けると「おや、何か転機があったかな」と、嬉しくも寂しくも思えます。

日本では fb も mixi も twitter も落ち着いた年齢の特に男性、中年男性が言葉という道具をフルに使っている。本場では SNS は道具だったけど、日本の中年は言葉自体がツールで、SNS は単にスモーキングエリア?かも知れない。公共の場で堂々と喫煙出来る場所。ヘンな例えをしてしまった。

さて、TW しても「リアクションがない」ことに詰らなさを得るだろう、twitter も一応 SNS だから何かしら突発的な反応が欲しいかも知れない。しかし、使い方の按配を見てると皆さん "距離を保った共有関係" がお好みのようだ。RP (リプライ)のやり取りはやがて堅苦しくなるだろう、それは真面目に受け答えしようとする人が多いからだと思う。

中年男性同士の偶発的な一回限りの会話には少なからず「仰ってる意味が分からないのですが」という文句が飛ぶ。なんだろう? 理解する気も無ければ、お互いの知能指数を測るだけの会話で全く面白くない。公共の場?なんて言ってる割に第三者が見て「なるへそ!こいつら面白いや!」なんて会話は少ない。2ch世代は、他人が見て面白いことを書く、と云うネットルールを知っていると思っていたのだがw こういった中年の発言を目にして「こんな大人になりたくない!」と傷心する若者はハッキリいって正しい。中年の私も詫びて置こう。けれど一つ言わせて頂戴。
立場を利用する見せ掛けの意見という息抜きが有効だとしても同時に形骸感を得ているだろうから悪循環に違いない。それでもベットリ血糊の付いた鈍らを振り回すなら結構、受ける方はボチボチ手入れした竹光で相手してやるような感じで構えておけば良い。まぁ極意は「相手にしない/スルー」なのだが。年齢差の無い世界での振舞いは難しい。だから今後に託される変革の為に、敢えて老兵が落ち武者となるのも結構な事だ「俺の屍を踏んで粉々にして唾吐き捨てて乗り越えていけや!」くらいでいこう。もう死ぬだけだろうし。だから若年兵は相手が老齢なら遠慮なく攻撃して良いってことで。 11:21 via Saezuri
ネット上なら若者は大人を遠慮なく叩いて良い。大人は対抗しなくちゃならない。これを実社会でやると老害は時に若者の人生を変えてしまう見苦しい暴挙に出る。実社会での下克上は、そりゃ生死を賭けた戦いになると覚悟せねばなりませぬぞ。

実名参戦すると、お堅過ぎてツマンなくなる場合はある。こら、確かに実名の弊害だこりゃ。
でも、真面目に受け答えしようとする人が多い国民性は真摯で良い事だ。けれど窮屈でもあるね。だから距離感を必要とするのだろう。お互いフォローリフォロー関係なら、アットマーク付けなくても、それとなく返事だと判る。こういう慎ましい配慮が日本的だなぁと思います。
また関西の特に大阪の一般人さんをフォローしてみよう。 彼らは概ねファンキーで賑やかだ。
10:38 via Saezuri

3 件のコメント:

  1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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  2. 俺はmixiもtwitterもfuckbookもどうも好きになれない。
    でも2chは、嫌いではないかもしれない。
    なんでだろう。

    1999年ごろのインターネットはすばらしく楽しかった
    AOLのチャットルームに毎日行き、話しまくった。
    Napster(初代P2P)で洋楽を落として興奮した。

    そのころと比べると、何が違うかって
    思春期だからなんでも面白く思えたのか。
    今は普通の人が増えすぎたことか。
    インターネット=金儲けって考えの人が増えたからか。
    リアルとネット世界との区別がもうないからか。

    よく分からん

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    1. 他人の今を知ること自体は、自分の人生に無利益で
      どうでもいい事だから。

      居心地の良い場所(スレ/ルーム/コミュ)では、幾つか「禿同」と言える共感を得られる。何所の誰かは知らない面白い奴が居て、そいつらが自分の発言を見て返答をする。有益な情報を確かに教え合う土壌が出来ている。多少の詰り合いはあっても、良心や素直さや親身さがまだ合った。総じて、自分にとって有益だった。そんな場所に来られるのはインターネットを行える環境とか積極性を当時から持っていた一部の限られた人達だけだった。

      時間が経てば、昔は楽しく思えた事が詰まらなく思える事もある。
      周りが変わったのか、自分が変わったのか、何が理由なのかを考えると、結果的に自分の変化が見えてくる。またはそう答えを出すべきとも思う。

      欧米的な自己主張に不慣れで、しかも敬遠してきた日本の気質が、アメリカを発端とするSNSによって、欧米的なノリに移行している時代だと思う。何かしら実益を齎す才能や技能や特技が無いと、今の時代は他人と共有出来ない。

      自己利益と他者利益を同時に叶える人間は社会ウケが良い時代だと思う。特に奉仕の気持ちも無く、自分の発言を載せるだけの人間は、この近代化村社会では敬遠されることになるだろう。これは理想や礼儀や義務や責任を他人に押し付け要求することでもある。自分から「インターネット利用者は神様です」と言っているようなものだ。

      インターネット黎明期からの利用者は、こういった現実社会の卑しさが流入してくる事に嫌気を指す。これは正しい感情であり、残念に思っても仕方の無いことだと思う。「自分が思うとおりの社会は存在しない。だから自分を変えていく必要があり、これこそ社会人なのだ」と厳しく当たり前のように言い返す人はいる。

      しかし、変わりたくなければ変わらなくていい。自分はどうするか?で良い。世界は変わっていくものだから、そう理解しておけば良いだけで、自分がそれに合わすのは別の事だ。これを傲慢や我侭と受け取る人は、他人への理解力が無い人間であり、こういう人間こそ無理解で傲慢な性質個体だと思う。このような「俺を楽しませろや」みたいな人間が増えたから面白くない、と考えても良いと思う。

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