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大谷池 愛媛県 / Otaniike Ehime

愛媛県伊予市南伊予にある大谷池について

"大谷池 愛媛県" を検索すると、何と心霊オカルト関連の記事が多いこと。
確かに「怖い」と噂される場所だし多少なりともウワサを耳にした。しかも何十年と渡って人伝てに想像と脚色と勘違いの尾ひれが付いたコッテコテの所謂ウワサで固められた場所だ。

幾つか散策動画も上がっているようだが拍子抜けするものばかりなのは、ズバリこう云う事だろう。兎に角、心霊オカルトはウワサで固められている。グレーを楽しめた時代はもう過ぎた、妙な妄想に囚われる事もないだろう。共有の時代にあって曖昧は敬遠され不確かは悪だ。

果たして本当にそんな所なのか? 大谷池と周辺について纏める記事を起こそう。

所在地

大きな地図で見る

概要
大谷池はえひめ森林公園に接地する大規模ため池だ。
2.大谷池(大谷川)の建設
愛媛県では大谷川という名の川は18もみられるが、この大谷川は上流端を伊予市上三谷建石にあって、八反地川を併合し、伊予灘に流出する延長8.39kmの二級河川である。大谷池はこの大谷川に昭和20年3月、愛媛県営用排水改良事業として、伊予市南伊予地点に完成した。現在の諸元は堤高35.3m、堤頂長 164m、堤体積35.5万m3、総貯水容量 175.9万m3で型式はアース式である。
( via : 財団法人 日本ダム協会 > ダム便覧 > テーマページ > 水没・移転・補償・生活再建 > 文献にみる補償の精神【28】(大谷池・愛媛県)
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=322 )
型 式:アース式
堤 高:35.3m
堤頂長:164m
堤体積:35,5000立方メートル
総貯水容量:1,759,000立方メートル / 最大貯水量1,759,000トン

森林公園のサイトで周辺路を把握できる。

えひめ森林公園|えひめ森林公園管理事務所 / 愛媛県森林組合連合会
http://www.aimori.jp/park/
えひめ森林公園|句碑・歌碑リスト
http://www.aimori.jp/park/monument/index.html
俳人を生んだ俳都の地を北に望む地域なので、正岡子規を始め虚子や山頭火他、全40句が点在し散策を楽しめる。こういう余裕は怖いもの見たさ優先だと起きない点が悲しい。
画像:えひめ森林公園/遊歩道コース案内 http://www.aimori.jp/park/prome/index.html

600m~ 1km~ 2km~ 4km と目的別に計10ルートがあり、短時間から長時間の散策と運動を楽しめる。
よく大谷池の写真にマガモを始めとする鴨系の写り込みが確認出来る。冬季に渡ってくる鴨の殆どが春先になると飛び去っていくが、毎年極少数のカモが腰を据えるからだ。水量と餌を目当てに水鳥を始め、背後に山間部を備えており、この池から用水する田畑が広がる田園部は小型から中型の陸鳥を観察できる。大谷池一帯は愛媛中予屈指のバードウォッチングポイントでもあるのだ。年間通してミサゴ/トビ/フクロウ/カワセミ/アオゲラ/ウグイス/エナガ/ヤマガラ/イカル、春秋はオオルリ/エゾビタキ/コサメビタキ/サメビタキ、温暖期はハチクマ/サシバ/ツツドリ/ホトトギス/ツバメ/ヤブサメ/オオルリ/サンコウチョウ、寒冷期はオシドリ/マガモ他カモ類、キンクロハジロ/オオタカ/ハイタカ/ノスリ/ビンズイ/ビタキなど、正確な多種の確認情報が並ぶ。
参考:日本野鳥の会|愛媛~野鳥観察"大谷池" http://ehime-wbsj.com/guide/13/

降雨量の少ない平野の山裾一帯には農業用潅水が点在する。水鳥は山を飛び越え、こういった各所のため池や河川を往来している。上空からハッキリと確認出来る大谷池は程好く人の気の無さを備えているので、それだけ野鳥の棲家として最適なのだろう。辺り一帯がフィールドなので撮影目的なら足と機材が必要と考えられる。他に学習目的や遊歩、散策やサイクリング、釣りやキャンプ目的で訪れた報告やブログが並ぶ。リクリエーション目的だけではなく大谷池は本来の用途である灌漑(ため池)としての評価も高い。農林水産省の「ため池百選」に選出されている。

この度、大谷池が農林水産省所管のため池百選選定委員会より「ため池百選」に選定されました。
大谷池のある旧南伊予村[1]は、雨が少なく、度々干ばつの害に悩まされてきました。農民の窮状を見かね、村長の武智惣五郎が「成否はもとより天にあり、吾れ死すとも辞せず」という悲壮なる覚悟のうえ、地域の人々とともに度重なる辛苦に耐えて、昭和20年に大谷池を完成させました。延べ373,000人が携わった土木工事は、当時としては破格の規模でした。
( via : 大谷池(PDF:48KB)http://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/tameike/pdf/3803_ootani.pdf )
農林水産省|ホーム > 組織・政策 > ため池百選 > ため池百選一覧
更新日:平成22年3月31日  担当:農村振興局
http://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/tameike/hyakusen.html )
[1]下三谷(しもみたに)、上三谷(かみみたに)、上野(うえの)、宮下(みやのした)、八倉(やくら)の集合体
大谷池が「ため池百選」に応募した経緯
大谷池は最大貯水量1,759,000トンにのぼり、愛媛県だけではなく四国でも屈指の大きさを誇るため池であり、伊予市平野部の田畑838haに農業用水を供給しており、農業を営むうえでの礎になっております。
また、大谷池は皿ヶ峰連邦県立自然公園の区域内にあって「えひめ森林公園」にも隣接しており、ハイキングやウォーキングの場としても、多くの人が訪れており、景観的機能も発揮されております。
( via : 伊予市役所 産業建設部産業経済課|ホーム > まちづくり > 観光 > 大谷池が「ため池百選」に選ばれました
http://www.city.iyo.lg.jp/sangyoukeizai/machizukuri/kanko/otanike.html

経緯
どのようにして大谷池が出来たのか史実に基づく経緯を確認しよう。
伊豫神社の雨乞踊り
伊予市上野にある伊豫神社の雨乞踊りは8月7日に奉納されるものである。この踊りは、境内末社の一つである時雨神社(八大龍王神社)にかかわるものであったが、現在では伊豫神社での夏越(なごし)祭には輪越(わごし)(*5)が行われ、境内の時雨神社前に特設された舞台で「雨乞踊り」を見物する仕組みになっている。
( via : (2)ボウデンを手に2-1 | 愛媛県生涯学習センター データベース「えひめの記憶」-『ふるさと愛媛学』調査報告書
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=9&P_FLG1=3&P_FLG2=3&P_FLG3=2&P_FLG4=3 )
南伊予村は純農村地だった。水の乏しい地域であったので雨乞いを伊豫神社内にある時雨神社(八大龍王を祀る社)で行っていたようだ。この地域は山すそに従って水田が広がる。雨乞いをする背景と理由がある。昔から雨乞いの神様は竜王(八大龍王中の特に娑伽羅/サーバラ)を指す。

武智惣五郎(南伊予村長)の功績
5.武智惣五郎-補償の精神
大正10年武智惣五郎は南伊予村長に就任する。翌年南伊予村地方は大干ばつに見舞われた[2]。これまで、たびたび大谷川の上流と下流の田畑では、水をめぐり、紛争がおこり大乱闘に及んだ。武智は私財を投入し、大谷川の上流にかんがい施設の設置のため東奔西走するものの、はじめは村民たちは冷やかであった。
「農民は金を取られるだけだ。その上水は少々しか来んぞ。」
「太陽が西から出たりしないように、低い所から高い所へ水が流れてきたためしはないぞ。」
とささやかれた。
昭和3年武智惣五郎は、父から「これはお前一代の仕事じゃ、大谷池はやらにゃあいかん、やれ。」と激励された。
この父の言葉と「成否は固より天にあり、吾れ死すとも辞せず」の精神が、大谷池築造の完成まで突き進んだ。日中、太平洋戦争に突入、労力、物資が不足し、工事の苦難が続く。先述したように工事の犠牲者が3名出ている。伊予市上野の栗田宗明さんは、その当時、工事に従事した想い出として、
そこで、村長さんは自からの写真を人柱として、土手の下に埋めたのです」と述べている。
ここに武智惣五郎の「補償の精神」をみることができる。
自分の写真を人柱として土手に埋めた、この行為はあくまでも大谷池の竣工に、財産だけでなくわが生命までも投げ出した。水の神、池の神、竜王に「わが生命」を捧げ、工事の完成を祈った

( via : 財団法人 日本ダム協会 > ダム便覧 > テーマページ > 水没・移転・補償・生活再建 > 文献にみる補償の精神【28】(大谷池・愛媛県)
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=322 )
[2] 1922年(大正11年)の大旱魃 翌年の大水害、1930年(昭和5年)の旱魃では稲は枯死した。
Ja.wikipedia/大谷池 )
村長ご自身の写真を人柱として無事完成を土地神に祈り誓ったとある。

当時の工事状況 について学習センターに以下の貴重な資料がある。
頼本ヨシミさんは、地域の小学生を対象にした踊りの会(文芸嬰(ちご)の会)の会長として芸能伝承に取り組んでいる。ヨシミさんに大谷池の築造時の思い出や、会の現状について聞いた。
「わたしの両親から聞いたのですが、昭和3年(1928年)の大干ばつで農作物が全滅した折には、村人は傘を背に負い、みのを着て、太鼓の音頭に合わせて大声で叫びながら雨乞いをしたそうです。そこで当時の村長の武智惣五郎さんは、干害対策として大谷池築造を決意し、反対者を説得して昭和6年(1931年)に関係地区用排水工事組合を設立しました。そして自らが組合長として陣頭指揮に当たり、昭和7年に第1期導水溝工事が完了したようです。続いて翌8年に第2期築堤(ちくてい)工事を着工していますが、昭和9年の大洪水で工事が難航したと聞いています。太平洋戦争中は各家から工事の勤労奉仕に出掛けましたが、わたしの姉も女子青年団員として日の出から日没まで働いていたそうです。~中略~わたしは、砥部(とべ)の七折(ななおれ)(現砥部町でウメの栽培の名所)の地蔵尊のお参りに行くときに、池に架かった橋を通りながら作業を眺めていたのを覚えています。男の人はどてら(大きめに作り、綿を多く入れた広袖の着物)とももひき(脚にぴったりする、保温・防寒用のズボン下)を着て、足なか(走りやすいように、かかとの部分のない草履)やとんぼ草履を履いていました。女の人は着物に姉(あね)さんかぶりで、たすきを掛け、小さい前掛けをして赤い鼻緒の草履を履いて池の土手の土を固めていました。昭和20年(1945年)3月にこの難工事は完成しましたが、資料によれば工事に従事した人員は延べ37万人を超えており、その方たちの汗と努力の結晶のお陰で農業用水の心配がなくなりました(写真2-2-25参照)。難しい工事に律軍Lか当時の関係者に感謝したいと思います。
( via : (2)ボウデンを手に2-2 | 愛媛県生涯学習センター データベース「えひめの記憶」-『ふるさと愛媛学』調査報告書
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=9&P_FLG1=3&P_FLG2=3&P_FLG3=2&P_FLG4=4 )
児童らが工事を見る状況にあった。大勢が関わる工事だった。そんな中で「土質が脆く崩れ易いので人体を埋めて土を固めるように祈った」との噂があるが、科学的にも現実的にも時代的にも到底考えられない。
ウワサや作り話の恐ろしさを感じる。「いやいや、昭和初期頃の村の風習には時折恐ろしいものがあった」との憶測意見は一体何所のことを指しているのか殆どが根拠に乏しい。

供養塔
4.工事犠牲者の補償
前述したが、工事で亡くなった3名に対し、次のような扶助料支払い、供養塔を建立している。少し長いがそのまま『大谷池』[3]から引用する。~中略~このように工事の犠牲者に対し、起業者は遺族に対し、扶助料を支払い、さらに供養塔を建立し、その霊を祀っている。
公共事業に係わるダムや水路の建設を纏めた「工事誌」や「事業誌」には、水没者と工事犠牲者のご芳名は、ほとんど記されていない。これから編纂される工事誌等には明確にご芳名を記すべきであろう。
このことはただ単なる財産補償だけでなく、感謝と敬意を表す「補償の精神」につながっているからだ。
( via : 財団法人 日本ダム協会 > ダム便覧 > テーマページ > 水没・移転・補償・生活再建 > 文献にみる補償の精神【28】(大谷池・愛媛県)
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=322 )
[3]『大谷池 築造五拾周年記念誌』(平成6年)伊豫郡大谷池土地改良区・発行

ひっそりと立派な供養塔が建っている理由以上に、この供養塔建立から昨今の補償のあり方について先人から学ぶことが出来る、是非リンク先を一読して欲しい。

継承
大谷池竜神踊り
14年の歳月を費やし難工事の末、昭和20年に築造された大谷池は、県下最大のため池でこの地方の農業の発展に多大な恩恵を与えました。昭和59年に築造40周年を祝い、農民の感謝と喜び、そして、古来からの竜神信仰を万歳風に表現し創作された踊りです。
( via : 伊予市役所|郷土芸能
http://www.city.iyo.lg.jp/schedule/kyodo.html )
堰の左端に龍王社がある所以、後ほど紹介する参考ブログにもあるが、この龍王は八大龍王。雨乞いの神様は竜王(八大龍王中の特に娑伽羅/サーバラ)を指す。雨を降らせてくれる神様、また水害等ないよう堰を守るように改めて建てられたように思う。

地元の小学校には築造者(武智惣五郎)の功績をたたえた胸像、大谷池土地改良区には顕徳碑が建立されており、毎年稔りの秋には、多くの人々が大谷池に集って、盛大な感謝祭を催し、その遺徳を偲んでいます。
( via : 大谷池(PDF:48KB)http://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/tameike/pdf/3803_ootani.pdf )

大谷池のあゆみ
1889(明治22)年 - 市町村制実施 郡中町、郡中村、南山崎村、北山崎村、南伊豫村 制定
1922(大正11)年 - 大旱魃(干ばつ)
1923(大正12)年 - 大水害
1928(昭和3)年 - 大旱魃
1930(昭和5)年 - 旱魃
1931(昭和6)年 - 関係地区用排水工事組合を設立
1932(昭和7)年 - 第1期導水溝工事完了
1933(昭和8)年 - 第2期築堤(ちくてい)工事着工
1934(昭和9)年 - 大洪水で工事難航
1945(昭和20)年 - 大谷池が完成する
1955(昭和30)年 - 郡中町・北山崎村・南伊橡村・南山崎村が合併し1月1日、伊予市が発足
1959(昭和34)年 - 大谷池感謝祭挙行
1968(昭和43)年 - 伊予市青少年教育キャンプ村を開設
1971(昭和46)年 - 谷上山観光産業開発道路完成
1972(昭和47)年 - 谷上山公園展望休憩所完成、谷上山公園整備工事
1979(昭和54)年 - 谷上山公園で国土緑化植樹祭
1980(昭和55)年 - 谷上山展望台完成
1981(昭和56)年 - 谷上山公園が完成
1984(昭和59)年 - えひめ森林公園開園、大谷池築造40周年記念式典
1993(平成5)年 - 市道谷上大谷線開通
1994(平成6)年 - 大谷地築造50周年記念式典・行事

( via : 伊予市役所|旧伊予市のあゆみ
http://www.city.iyo.lg.jp/shise/gaiyo/profile/iyo.html )
現在では海辺の公園整備に重点が置かれていたらしいが、大池周辺の整備は既に充分年数を掛けたものである。



大谷池と谷上山地蔵を関連付けるウワサは多いが、距離的に結構別の場所だ。
2点を関連付けする論述をまだ見ていない。大方、現地を知らずに聞いた話だけで結び付けたのだろう。


地蔵~地蔵信仰について
百体地蔵について正確な史料を見つけられない。人身御供と言われているが果たしてそうなのだろうか。
そもそも、お地蔵さんとは一体どんなものか
お地蔵さん信仰は総てが順調ではありませんでした。明治期早々には「廃仏棄釈」運動が各地に起こり神仏の分離政策が行われ、神社にあった仏像は焼かれたり寺に預けられたり壊されたりしました。お地蔵さんにとっても同様に辛い時代でした。現在、頭のないお地蔵さんを見かけるのは、そうした廃仏棄釈に揺れた当時の最大の犠牲者ではないかと。後世、こうした事件を哀れんで、お地蔵さんに自然石を載せお顔に見立てたり、新たにお顔が造られたりしています。

お地蔵さんにとって過ちの時代もありましたが、今も人々の手厚い信仰によって支えられています。「飯能の石仏」、地蔵菩薩の項にはこんなことも記されてありました。

「・・・・お地蔵さんは庶民のいるところ何処へでも出向かれて救いの手をさしのべてくれると信じられました。救いのレパートリイをたくさん持っていたわけで、それが最多数の造立につながるわけです。お地蔵さんに色々の呼称があるのもその証明で、とげぬき、いぼとり、痔治し、夜泣き、身代わり、子育、日限(ひぎり)、と直接的な祈願は、子供の夜泣きをはじめとして、いぼ、とげ、歯痛、せきなど私たちも身に覚えのあることで、医学に貧しかった昔の人たちは、神仏に祈るより手だてはなかったのでしょう。また、塩浪、しらや、鶴舞、岩船などの名称を冠したものも市内にありました。
地蔵信仰が女性により深く、広く信仰された理由の一つには、現世利益の治病、延命ももちろんですが、「死者の救済」という救い手が大きかったのではないかと思います。江戸時代は乳幼児の死亡率が高く、また農民政策からの人べらしでの間引きなど、女性の罪の意識や悲哀感は想像以上だったと思われ、それが念仏講など強烈な信仰意欲をかき立てたのではないでしょうか。今回の調査で・・・・」
とありました。
( via : 「お地蔵さんの手っ手(てって)」屋根のない博物館ホームページ
http://park19.wakwak.com/~hotaru1/ojizousannnotette.html )
百体あるからと言って即座に「人身御供100人分」と考えるのは軽率短慮ではなかろうか、これだけ大勢なら供養碑や塔が建つと思われる。場所からしても灌漑工事に関係のある地蔵群なのだろうか。今より生活と生存が厳しい時代に、100人もの犠牲を特に反対も無く一度に遂行出来たと考えられるのならアナタの現実世界はお花畑だ。では仮に累計100人の人身御供あった場合、水害や飢饉の兆候に際して・・・いや毎年行ったとして何十年~百数十年以上も続いたことになる。非常に非生産的ではなかろうか、過去の汚点として口伝が途絶えている可能性はあると考えたいならそれでも良いし、大谷川の氾濫のことを言うのだろうと翻してもいいだろう、こういった口伝史実を探す方が苦労するかも知れないが、実際どうなのかをいい加減確かめる方が先だと思う。因みに不埒者からの悪戯が絶えない地蔵の多くは、終いには残念ながら撤去される事になる。

(元)第一展望台から奥へ進むと百体地蔵~寺院がある。

谷上山 慈悲院 宝珠寺
山門を下って約200m進み、水子地蔵尊の前をすぎ、古い石段を登りつめると、宝珠寺本堂に着きます。寺の名は谷上山慈悲院宝珠寺といい、真言宗智山派京都智積院の末寺で、本尊は千手観音(昭和39年(1964)に市指定文化財となった秘仏、その為開帳時以外は拝観不可)です。寺は天武天皇2年(西暦674年)、当時の国司であった越智有興が創建したと伝えられ、今までに前後4回の大造営をしています。境内には本堂をはじめ、薬師堂・絵馬堂・護摩堂・大師堂・通夜堂・庫裏・鐘楼・一の門・二の門・仁王門が建ち並んでいます。本堂の建物は特に精巧を極め、唐破風つき縋破風様式の入母屋造、下三谷の川中夏吉が建築したもので、市指定文化財になっています。
( via : 伊予市役所 http://www.city.iyo.lg.jp/machizukuri/kanko/guidemap/tagami.html )
まさか "大谷池の百体地蔵" とは水子地蔵の事ではないのか。
これを人身御供100人とするウワサ話は甚だ滑稽なのだが、それだけ聞いた話が膨らんでいる証拠と言える。

真言宗派の寺院なので西暦1984年(昭和59年)の弘法大師御入定1150年御遠忌大法会(ごおんきだいほうえ)事業に関わる供養塔も建立。
西暦674年創建の寺院は、谷上山に纏わる神話に似通った逸話から再建改修された。

谷上山の伝説
以下の詳しいブログから引用させて貰おう。
月夜見比売と愛比売の二尊が降臨したという伝説が残る「谷上山」のお話です。~中略~ このお寺の右上の山頂に愛比売命が生まれたと言われる「夜光の池」があります。~中略~ 比売ならば、ここももしかしたら瀬織津姫さまと関係があるのかもしれないと。。。なぜなら、瀬織津姫さまは、(月の女神)とも言われているからなのです。また、大山津見・鹿屋野比売・熊野三所大権現を合祀し、田神大権現と崇められているとのこと。ここでも、また大山積神の名前が、そして鹿屋野比売、更には熊野三所大権現どれも、瀬織津姫と関係が深い神々ばかり。
( via :
愛姫伝|月夜見比売と愛比売に二尊が降臨したという伝説「谷上山」
http://makild.exblog.jp/14157617/
愛姫伝|月夜見命を祀るもう一つの伊豫神社
http://makild.exblog.jp/14131531/
)
月夜見比売(つきよみのみこと - 月夜見命(つきよみのみこと) - ツクヨミ)
愛比売(えひめのみこと - エヒメ / 愛媛の古名)

上記と下記ブログは現地紹介画像が充実したブログなので是非ご訪問を。

☆愛ある愛媛☆~関東から四国へ♪移住生活~
2009年12月11日●伊予市の谷上山ルンルンドライブ♪
http://ameblo.jp/nnccb139/entry-10403024795.html
2012年04月12日●伊予市☆谷上山の桜がすごかったぁ
http://ameblo.jp/nnccb139/entry-11217837888.html


以上。
史実に関わる怖ろしいウワサの多くの基盤となっていた「人柱伝説は間違いだな」と思われたでしょうか。不可解な現象話の根拠となる人身御供は存在しない設定でした。聞き手と語り手が創り出した恐ろしい誤情報なのでしょう。この一帯で起きた不可解な出来事に、もし人身御供を引用するなら即座に嘘と決定していいでしょう。

「ちょっと待った!白い何かが・・・月夜に女性がトイレに・・・追いかけられた・・・出たんだよ・・・遭ったんだよ・・・見たんだよ」に関しては、本人の体験談話の範疇でしかなく、事実かどうかの証明は難しいのです。私も地元なので実体験ありますが、こういう事の真実性は体験した本人しか有しません。一旦人伝になると途端に趣きが変わってしまいます。
本人の悪ふざけが原因で不吉や不幸が起ったのならオカルト解釈抜きで起こるべくして起こったと思います。「聞いた話です本当です」は相手にされないご時勢です。事件や事故は情報元の提示が必要になります。人の生死に関わるものですから事実確認は慎重に。
オカルトファンの 期待を損なう形ばかりのネタでしょうが、第一展望台解体の件は追及する価値はあるでしょう。 近年、園内の再整備が完了しました。導線から必要性を帯びた駐車場確保に終わるかも知れません。桜の木が道なりに植えてあり、春になると花見に来た車両の駐車場や花見場所の確保が必要なのです。

ある程度並べてしまうと、事情を知る方からすると楽しんでる側や真に受けてしまっている者は本当に滑稽です。自分も好きな質ですが現実は、やはり現実過ぎますね。思いがけず遭遇した場合は普通に幸運だと思うんです。「相手がどういう人か見て、話を聞いてみるというのは、この世もあの世も同じじゃないですか」と思います。ほんの数回行った事がある場所でしかなく、今回現地へ赴かず検索だけで取り組んで見ましたが、ネット上にある有益な情報だけで当地のオカルト要素が排除出来て良かったと、ソース元各位に感謝しております。有難うございました。


参考 / Reference
こたろう博物学研究所本館|伊豫の隅々
http://www33.ocn.ne.jp/~kotaro_mil/index.html
~こたろう博物学研究所では、平成の市町村大合併前の70市町村の区分のままで、愛媛県内情報を掲載し続けます
愛姫伝
http://makild.exblog.jp/
~数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています
ウィキペディア - 大谷池
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B1%A0


追記:現地概要マップを作成しました。

事前参考:谷上山・行道山へ行こう!|お山へ行こう!
http://angelcymeeke.web.fc2.com/tagami/
お山へ行こう!トップページ
http://angelcymeeke.web.fc2.com/index.html
愛媛の山々を踏破。ルート確認から散策知識まで非常に役立つ情報が沢山掲載されています。


より大きな地図で 谷上山(たがみさん)とえひめ森林公園(大谷池)周辺 を表示

URL:https://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&gl=jp&ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0&msid=211479922695701354235.0004c45124759e0ad8fb6

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