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共有サイトで見たこと

アート系SNS で見られた呼び掛け活動について思う。
結果的に非難と批判を浴びてしまった投稿者は少なくないだろう。twitter での非常事態下に於ける拡散を例に是を"道徳教育成果の相互援助活動"とするなら発起自体に間違いはない。メッセージとして伝わる投稿か、又は平常どおり趣味活動の範囲内に収められる/解釈されてしまう投稿か、これを厳しく客観評価するのは難しい。特に今回は国内大災害なので、まず大衆アーティスト達は判断に "非常に" 苦悩しただろう。そして行動後の評価は、興奮気味の雑多な閲覧者に委ねられる。素直な厚意でも短絡解釈されれば即座に偽善&売名扱いだ。



普段からの活動主旨が肝心だが、アクセス数稼ぎの受け狙いや、交流攻略手法での票稼ぎを心得たネット戦略家は、こういう時に低言語力を披露してしまう。本物の善意は公にはならない。有言実行の証明を提示してまで善意の正当性を貫く告知作業は厄介だろう。取り返しは中々つかない。時間経過の解決を待つしかないだろう。

これが語学力と芸術性を問われる海外サイトだと、簡単にメッセージが伝わり、好意的なリアクションを得るようだ。アート性が問われる場所は自ずと、理性と知性面も問われるらしい。国内SNSとの違いが見えてくる。コミュニケーション型閲覧フォームで交わされる文章会話をざっと眺めてみれば、殆どのページで、感想がコメントされ返礼が書き込まれると云った形式に収まる。作品を主題にしたアーティストとゲストとの問答は見掛けない。

この非常事態に、芸術性を手段として用いる場合、並みのSNS参加者/一般人では、持てる才能を上手に変換出来なかったと思われる。世界に知られたミュージシャンでも無ければ、全国放送で知られるタレントでもない。一声掛ければ金を出す大衆が集まる訳でもない。作品は作品、言葉は言葉、信念、思考、行動、感性、これらを内包した人間性が問われた事態だったと思う。何となく周囲に同調する心理にならなければ、あやふやな投稿は避けられたかもしれない、従って自分の本質を気取られることは無かっただろう。自分の才能が一気に意味合いを失くしたと感じ、身を退いた将来ある者が仮に居たならば、是は不運の連鎖だ。

いずれにしても自分の作品にどれだけ価値や意味があるのかが判ったと思う。光色バランス、構図、技法に加え、最も核心たる部分が見えたと思う。機材やソフトや手法以上に、重要なものが。創造と制作の苦悩と苦労だけで良い成果は得られない。

そして、小さな連帯が大きな力に変わったと錯覚する前に、人々の本来あるべき良心を感じ取っておこう。感性こそ芸術に必要ならば、大衆意識を感じ取る感覚を持っている筈だ。それに、持てる秀でたものの役どころを考えよう、行き着くところは必ず貢献だ。

復旧はこれからだ。いや、まだそこにも到ってない。やっておけばいいってものじゃない。復興するまで続ける気があるなら本物だと思う。

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