あの頃ボクは若かった |
続きは、人間椅子ライブ 思い出で綴ってるのら!
人間椅子のライブは今でも好く覚えている。
ライブ会場入り口扉を振るわせる人間椅子のリハーサルの音。これは感動もんだった。
3つの楽器が塊になってホールの壁面を叩く。歪ませ方はそこそこなのに、こうもキレイに音を重ね
鳴らすと、何とヘヴィなことか。
全国規模を視野に各地のライブハウス廻りするバンドさんは特有の雰囲気がある。
それは地方アマチュア達の音楽活動精神に対し、明確な差異を与える。
それが違いと距離感を与える。打ち上げに参加させて頂いたことはあれど、後々残るモノを乞う事は
遠慮せざるを得ない距離感があった(当時)。
地方アマチュアが騒ぐ楽屋に、メインバンドが入室すると彼らの堂々さに空気が変わる。
気遣いもあるけれど、まず礼儀。そもそもバンドやってる人達は大方礼儀正しかっ た。
先輩やプロ、その態度に自分達の粗末な悪態を改める。「腰が低い」と形容する/される者もいたが
感謝の現われだと今は思う。身分の違いもあるが、遠方まで足を運んでくれた御礼だと思う。
祭りにも似た領域内で一番エラいのはライブハウスのオーナー。
トリのバンドがゲスト(依頼)なのかビジター(バンド側から出演願い)なのかで、オーナーの態度は変わる。
スタッフも時にメインバンドよりエラい。ミキサー担当者は大体エラい。
スタッフ頭以降はメインバンドさんより下。 そしてアマチュアバンドはガキ&トモダチ扱い。
人間椅子の御三方は、控え室のアマチュア参加者全員が和んでしまう独特の雰囲気があった。
スッ と場に馴染んでしまう風体と雰囲気、入室に気が付かなかった。
アマチュア参加者に与えたのは何より、親しみ易さだったと思う。御三方の人柄がそうだろうけど、
明らかに「同一線上の先に居る」と云う存在感。元は同じ、ちゃんと先へ進めた人達。
解釈に依っては、アマチュアに夢を与えるバンド と云えよう。
素面はまるでクールなパンクロッカー、少し近寄りがたい鈴木研一氏。
例のメイク最中を共にした一人のアマチュアが皆に感想を伝える「なんかスゴイもん(者)になってる!」
室内の全員が氏のメイク完了を期待する。
飛び跳ねるような軽快な動作で終えて出てくる鈴木氏。場がドっ!と沸く、ヤンヤヤンヤ!
それに応えて ( ̄ー ̄)ニヤリッ・・・演奏準備完了、不気味な笑み浮かべた鈴木氏は自信を魅せ付けた。
叩いて歌うスタイルを与えた当時のドラマー土屋巌氏、相方の和嶋慎治氏。
プロらしさが無いほど気さくな人達で表情と雰囲気が非常に穏やかだった。
人間椅子のライブは此れまで共演させて頂いたプロバンドと違い、落ち着きがあった。
テンションを上げることなく音が鳴り響く。煽る行為は無いのに勝手に盛り上がる観客。
身の丈以上ある会場のスピーカーモニターから鉄筋ビルを振動させる音の中心に居た人間椅子は
「演奏自体、人間の極自然な動作だよ」と言わんばかりの安定した挙動で楽器/機材を扱いながら
演奏している。 初めは腕や頭を振っていたけれど、こんなにも安定したライブを間近で見ていると
妙に気持ちが落ち着き、安心してしまった。演奏者に失礼かもしれないが、ポ~っと見惚れていた。
この気分を例えるなら「コタツで暖まりながらTVを見るとき」だろう。
鳴っている音調はエゲレスはブラックサバス。サバスの系統をシッカリ受け継ぐジャパンNWOBHMだ。
ハードでドゥーミー、それがプログレッシブに構成された音、に僕は魅入ってしまった。
素晴らしかった。
一般的に煩く聴こえる音がそうは耳に入ってこない演奏、と気付いた時点で、自分の既存概念が崩れた。
音と光景に酔える演奏を見て僕は「こうは出来ない」と、間違った考えを積み重ねてしまった
それへの反省から「違うことをした方がいい」と悟った。
音楽観賞は、盤やディスクやメモリ媒体に収まったデータを楽しむ行為では無い。
目の前で鳴らしている楽器の音を聴き楽しめることが音楽観賞行為だ。
人は成るべくして現在を成している。ちゃんと収まりが付いている人達の行為動作や思考、性質は自然だ。
バンドをやってる自分の不自然さに気付けたライブ、これを教えて貰えた事に僕は大変な感謝を覚えている。
Sep 30, 2013 |
読んでみて、かつて目の前ですごい生演奏を見た時の衝撃を思い出しました。演奏を見て聴いてて、本当に体が震えてきたことがありました。心身で感動することって音楽ではありえると思います。
返信削除「目の前で鳴らしている楽器の音を聴き楽しめることが音楽観賞行為だ。」この言葉に思わず納得してしまいました。
人間椅子・・・今からでもライブを見てみたいなぁ。