June2013 アクセスが増えたので校正しますた。当時流行の「左翼のクソ共」を文字った文章も追加しました。クソ左翼共の皆さん、ごめんなさい。
Amazonが以下の商品を削除した。
売る側としては涙ちょちょぎれ・・「尼丼さん、そりゃないでぇ~」
普通AV商品は告知せず削除しているAmazon。AVはそんな扱いなのだアハハ!まだ掲示されるだけマシっつー訳でして。
タイトルを見て「こりゃ当然だろ」なんて思うのは間違いです。いやホントw だってね、そもそもジャケやタイトルで驚かせ購入させるのがAVでしょうが?!
AVのジャケットやWEBサイトで「無修正」って見たら、アンタら食いつくでしょ?w
だから、ワザワザ「無修正」って印字/表記するんですーぅ。「無修正」つまりカットせず完全収録しましたって意味なんですが、勝手に「モ、モザイクなしかいな?!観音様おっぴろげかいなニーサン?!」と早とちりする訳です。まぁでも、これが人間臭くて面白い点なんですね。
続きは、ECサイト(通販/エレクロトロニクスコマース)尼丼が
「規制条例が施行されそうだから、検索対象に挙がる妙なタイトルは商品DBから削除しろやボケカスアフォ」と、無慈悲且つ素人判断で削除したと思える程ズサンなリストにツッコミ入れました。
記録媒体の移り変わり
DVDはVIDEOと同じに?
記録媒体が移行する際の指標になる商品がある。機動戦士ガンダム(一年戦争)のBOX発売だ。
この商品が媒体の終焉を意味する模様。この発売が決定したらしい。
2008年2月にHD DVDとの規格競争が終了し、次世代規格はBlu-ray(ブルーレイ)に一本化された。
都心部または大都市圏では媒体の移り変わりは店頭で確認し易いと思う。
主に映画やアニメ作品を中心にBlu-ray商品を確認出来るようになった。
3500円を超える価格帯にはDVD時代の中期を思い出す。
但し、生産ロット数は少なく、既に廃盤扱いのBlu-ray商品をよく見掛ける。
新しい媒体が出れば飛びつくジャンルがある、それはAV(アダルトビデオ)。
しかし、Blu-ray商品が全く充実しない。アダルトDVD商品は月間800タイトル発売されているが
Blu-ray規格統一された1年後の今、商品タイトル数はたった120タイトル。
代わりにブロードバンドの利用が増えている。兎に角、規格で揉め過ぎた。
仕事での話。
ビデオを探し回っている若い方とお話をした。
こちらが伺うと、ピックアップした映画のタイトルをスラスラ答えるが、年齢からは考え難い
70年代後半から90年代のものばかり。本人が生まれていない時代の作品ばかりに
「よくご存知ですね、それに名作ばかりだ」と思わず感心した。
映画の話を重ねた後、「ビデオで探すのは難しいよ」と進言。
ネット市場は別にして、生活圏に点在する店舗でビデオを探す事に、もう無理があると云う事。
ビデオは店頭から除去されている。幸い、彼が挙げたタイトル群はDVDなら新品1000円以下の物だ。
中古店で探すのではなく、新品を手配した方が容易。探し回るロスにも楽しみを持つなら結構だが
入手が叶わないので、無駄としかいえない。
DVDが浸透してもDVDレンタルへ移行せず、ビデオレンタルで幕を閉じた店舗が多い。
販売品とレンタル使用品との違いを内容と価格で明確にしなかった店舗が多い。
AVに於けるBOOKOFFの役割は価格破壊と粗悪品の蔓延助長でしかなかった。
メディアと技術の進捗が早かった事で、地方に於いて充実した店舗は存在しない。
何を以って充実とするかの判断は今更だが、総体としてみるネット市場だ。
何かを探す際に、まずネットを当るのは当然だ。そして地域の各店頭に根を張らせて置く・・・
(ここまでする必要も無いが)
兎に角、一昔前の媒体に拘ると、偶然の機会を待つしかない。
2009年、DVDの価格帯はビデオ化している。需要の有る無しではなく、他にその理由があると思う。
今後、中古が充実する市場なのかと考えた場合、かつてのビデオ程、DVDは充実しない。
ビデオ時代に貢献したレンタル店と云う存在がないからだ。小規模で散在するDVDレンタル店は少数だった。
DVDレンタルへ移行出来ず、ビデオレンタルで幕を閉じた店舗が多いから。
また、ビデオに比べてDVDの状態維持は困難なのだ。
ビデオは記録部(テープ)に触れる事がないが、DVDは重要な記録面が剥き出しで
一般的な取り扱い方で無傷を保つのは無理なのだ。よって痛みが早い。
研磨技術と機器は向上しているが、売られる度に削られる。一回につき数μmmだとしても。
よって、繰り返し流通する物にはならない。
消費活動以前に、物販が充実しなかった事で今後どうなるかはもう見えている。
記録媒体が移行する際の指標になる商品がある。機動戦士ガンダム(一年戦争)のBOX発売だ。
この商品が媒体の終焉を意味する模様。この発売が決定したらしい。
2008年2月にHD DVDとの規格競争が終了し、次世代規格はBlu-ray(ブルーレイ)に一本化された。
都心部または大都市圏では媒体の移り変わりは店頭で確認し易いと思う。
主に映画やアニメ作品を中心にBlu-ray商品を確認出来るようになった。
3500円を超える価格帯にはDVD時代の中期を思い出す。
但し、生産ロット数は少なく、既に廃盤扱いのBlu-ray商品をよく見掛ける。
新しい媒体が出れば飛びつくジャンルがある、それはAV(アダルトビデオ)。
しかし、Blu-ray商品が全く充実しない。アダルトDVD商品は月間800タイトル発売されているが
Blu-ray規格統一された1年後の今、商品タイトル数はたった120タイトル。
代わりにブロードバンドの利用が増えている。兎に角、規格で揉め過ぎた。
仕事での話。
ビデオを探し回っている若い方とお話をした。
こちらが伺うと、ピックアップした映画のタイトルをスラスラ答えるが、年齢からは考え難い
70年代後半から90年代のものばかり。本人が生まれていない時代の作品ばかりに
「よくご存知ですね、それに名作ばかりだ」と思わず感心した。
映画の話を重ねた後、「ビデオで探すのは難しいよ」と進言。
ネット市場は別にして、生活圏に点在する店舗でビデオを探す事に、もう無理があると云う事。
ビデオは店頭から除去されている。幸い、彼が挙げたタイトル群はDVDなら新品1000円以下の物だ。
中古店で探すのではなく、新品を手配した方が容易。探し回るロスにも楽しみを持つなら結構だが
入手が叶わないので、無駄としかいえない。
DVDが浸透してもDVDレンタルへ移行せず、ビデオレンタルで幕を閉じた店舗が多い。
販売品とレンタル使用品との違いを内容と価格で明確にしなかった店舗が多い。
AVに於けるBOOKOFFの役割は価格破壊と粗悪品の蔓延助長でしかなかった。
メディアと技術の進捗が早かった事で、地方に於いて充実した店舗は存在しない。
何を以って充実とするかの判断は今更だが、総体としてみるネット市場だ。
何かを探す際に、まずネットを当るのは当然だ。そして地域の各店頭に根を張らせて置く・・・
(ここまでする必要も無いが)
兎に角、一昔前の媒体に拘ると、偶然の機会を待つしかない。
2009年、DVDの価格帯はビデオ化している。需要の有る無しではなく、他にその理由があると思う。
今後、中古が充実する市場なのかと考えた場合、かつてのビデオ程、DVDは充実しない。
ビデオ時代に貢献したレンタル店と云う存在がないからだ。小規模で散在するDVDレンタル店は少数だった。
DVDレンタルへ移行出来ず、ビデオレンタルで幕を閉じた店舗が多いから。
また、ビデオに比べてDVDの状態維持は困難なのだ。
ビデオは記録部(テープ)に触れる事がないが、DVDは重要な記録面が剥き出しで
一般的な取り扱い方で無傷を保つのは無理なのだ。よって痛みが早い。
研磨技術と機器は向上しているが、売られる度に削られる。一回につき数μmmだとしても。
よって、繰り返し流通する物にはならない。
消費活動以前に、物販が充実しなかった事で今後どうなるかはもう見えている。
児童ポルノ規制の風潮が、商品流通規制に
2009年5月、主だった通販サイトが自主規制の下、不都合なタイトル商品を削除し始めた。
Amazonの削除リストを確認する。
アダルトビデオ制作側は倫理審査機関を設ける。百社は越える制作メーカーには派閥がある。
その派閥ごとに倫理審査機関がある訳だ。ジャケット裏紙面にあるホログラムシールが
審査済みである事と、商品がどの派閥に属しているか、を示している。
Amazonの削除タイトルには、有名な倫理審査機関である、メディ倫やVISC商品を含んでいる。
削除の理由は「出品禁止商品」なのだが、倫理審査済みの商品だ。「出品禁止」の理由になっていない。
Amazonは、AVに関して独自倫理規定を発令出来る機関や権限を持っているのか?初耳だ。
削除の理由は只一つ、商品タイトルに、レイプ、強姦・・・と残虐な意味を含む単語を含んでいるかどうかだ。
指摘されて当然の曖昧な理由で削除したのは、審議中の法案の影響と関係するのは明白だ。
児童ポルノ禁止派の議員と裏関係があってもおかしくない、こんな憶測を許すだろう。
粗野で臆病な合理的対処が、Amazonの体質を曝け出してしまった。
Amazonの削除リストを確認する。
アダルトビデオ制作側は倫理審査機関を設ける。百社は越える制作メーカーには派閥がある。
その派閥ごとに倫理審査機関がある訳だ。ジャケット裏紙面にあるホログラムシールが
審査済みである事と、商品がどの派閥に属しているか、を示している。
Amazonの削除タイトルには、有名な倫理審査機関である、メディ倫やVISC商品を含んでいる。
削除の理由は「出品禁止商品」なのだが、倫理審査済みの商品だ。「出品禁止」の理由になっていない。
Amazonは、AVに関して独自倫理規定を発令出来る機関や権限を持っているのか?初耳だ。
削除の理由は只一つ、商品タイトルに、レイプ、強姦・・・と残虐な意味を含む単語を含んでいるかどうかだ。
指摘されて当然の曖昧な理由で削除したのは、審議中の法案の影響と関係するのは明白だ。
児童ポルノ禁止派の議員と裏関係があってもおかしくない、こんな憶測を許すだろう。
粗野で臆病な合理的対処が、Amazonの体質を曝け出してしまった。
アダルト関連の安価設定による影響と問題について
ハードルとフィルターの無い・・・つまり安く又は簡単に性産業サービスに触れることが出来る
こういった環境は、まず男性自身の性を脅かすものだと、僕も考えております。結果として行動に表れるものですから。
SEXは、特別な相手がいる上で自分で考え学んでいく謂わば修練でしょうか。
異性関係上の高位にある難しい接し方に交わりです。
個人の性理解度が低ければ、その実践も程度の低いものだし
相手ともギクシャクするでしょう。何も相手を満足させるテクニックではありません。
与える~与えたい行為は、まず相手に求めるものがあるから だと考えています。
それを言葉にすると、ちょっと盛り上がるんですけどw
「言わなくても解る」というのが好ましい。「やってほしい」と「してあげたい」が
上手く重なるようになるには、対人観念~思いやり、労わり、尊重、慰め、愛情など
普遍の精神が根っこにあるんです。
一番の問題は、マスターベイションに属する趣向で、性の理解を終了させる事です。
個人的に自由なものだからこそ、安易に済ませる~捉えることの危険性が
非常に顕著だと思います。
自由と云うものが孕む問題は、その他の対象からも窺える通りです。
この場で云う危険性とは、解釈の具合によって生じ固定概念となってしまう
異性の捉え方と、異性に与える影響です。
「安く又は簡単」に自己認識領域に入ったものは「安く又は簡単な理解」に
留まって当然です。
前記で「まず考証する対象には到底ならない訳です 」と大袈裟に書きましたが
不特定の男性に問います。
思い返してみて下さい・・・何か一つのAVを観た後、大半の方は
後始末とかズボン穿いたりとか空しくなったりとか沈静行動で完結するのでは?とw
安く又は簡単に入手し、安く簡単な観方で終わる。
「ああ、やりたい・・・彼女欲しい」と、また空しい人生の始まりと繰り返し・・・
自分もそうでしたw 考える~踏み込まないと「安く又は簡単な完結」に終わるんです。
興奮を得るオカズでしかない場合、これは見せられているだけで
営利企業の思惑にドップリ支配され操られているだけですw
>AVにしても風俗にしても、プロでなきゃいけないですよ!
AVを観て私が感じるのは、提供する側の一部に
<金を出す客を舐めている提供者が沢山いる>って事です。
舐めたAVに興奮してシコシコ・・・思惑にドップリ支配され操られてシコシコ・・・
こういった現実に気付いて欲しいから「考えて下さい」と言いたいんですね。
性という罠、安く簡単という罠、重なる罠に理性は飛びます。
寧ろ、飛ばしていると思います。景気云々ではないと思ったりもします。
良い悪いの評価を「自分には合わなかった」と感性だけで留めるのが稚拙です。
「自分には合わなかった」でも(・∀・)イイ!!です
例えばカノジョと別れて「自分には合わなかった」と
例えば離職して「自分には合わなかった」と
よくある結論ですね。
女優のインタビューを飛ばしますね?
オープニングやエンディングにある監督名を見ませんね?
チャプターで飛ばして観ますね?
よく見る男優さんはいつもどう?
何故良いのか?何故ツマラないのか? 理由を考えることが第一歩。
ちょっと考えれば制作意図や出演女優、つまり人間考察に行き着きます。
結局、自分の趣向に合う監督と女性とのマッチングなんです。
AVの延長線上に実際のSEX~リアルでのSEXがあると捉える事は
馬鹿げたことでは無いでしょう。
指の使い方や電マや体位じゃないんです、これは二次的なものw
見せるものとして演出の一部です。
安く簡単に性行為を捉えてしまった雑な概念が広く浸透してしまうこと
そして結局身近な異性にこれが反映されてしまうのではないかという危険性なんですね。
「AVと実際は別物」と線引き出来る場合ですが、マスターベイション面で満足してしまうと
実際面は意欲的では無く減少するのでは、と指摘しちゃえます。
---ではタイトル「アダルト関連の安価設定による影響と問題について」から外れます---
「どういった女優(女性)が、どう感じ、どう乱れているのか」
「どこの誰が何をやっているのか」という事です。
誰が何をやっているのか・・・と
ココから突っ込むことで異性を理解する歩みが始まるんです。
AVという観られる舞台に上がった女性たちですよ、裸を見せるだけなのでしょうか?
もしかすると「私という女~人間を見て欲しい」と潜む人もいるのではないでしょうか。
AVとは云え出演女性への純粋な想いは理解に発展し、実際に反映されます。
「オレ、恋したような・・・キュン」大いに結構です!
AVに考察を用いることは「自分は何が好き?何を求めているんだ?」という事になります。
結局の処、自分を知ること・・・自己理解なのです。
もはやAVの範疇から外れますが、枷を取り払うことが重要です。
音楽、映画、本、衣服、家具、仕事、社会、世界、対人
たまたま生まれた時代の全てに接し、ただ時代に流されシコシコするのでしょか?
そうではない筈です。
接して経験し吸収したことで、理解し考え、それを実践に移してきたでしょう。
感覚したことを分け隔て無く扱えば、人生が少し満ちたものになるのでは・・・
何故ならば、経験と思考を以って人間は成長する生き物だからです。
考えることで理解を深め消化し、それを実践する生き物だからです。
随分長々と弊害盛り沢山で散らかったものになりましたが
私が現状で纏められる全てを書き留めてみました。
こういった環境は、まず男性自身の性を脅かすものだと、僕も考えております。結果として行動に表れるものですから。
SEXは、特別な相手がいる上で自分で考え学んでいく謂わば修練でしょうか。
異性関係上の高位にある難しい接し方に交わりです。
個人の性理解度が低ければ、その実践も程度の低いものだし
相手ともギクシャクするでしょう。何も相手を満足させるテクニックではありません。
与える~与えたい行為は、まず相手に求めるものがあるから だと考えています。
それを言葉にすると、ちょっと盛り上がるんですけどw
「言わなくても解る」というのが好ましい。「やってほしい」と「してあげたい」が
上手く重なるようになるには、対人観念~思いやり、労わり、尊重、慰め、愛情など
普遍の精神が根っこにあるんです。
一番の問題は、マスターベイションに属する趣向で、性の理解を終了させる事です。
個人的に自由なものだからこそ、安易に済ませる~捉えることの危険性が
非常に顕著だと思います。
自由と云うものが孕む問題は、その他の対象からも窺える通りです。
この場で云う危険性とは、解釈の具合によって生じ固定概念となってしまう
異性の捉え方と、異性に与える影響です。
「安く又は簡単」に自己認識領域に入ったものは「安く又は簡単な理解」に
留まって当然です。
前記で「まず考証する対象には到底ならない訳です 」と大袈裟に書きましたが
不特定の男性に問います。
思い返してみて下さい・・・何か一つのAVを観た後、大半の方は
後始末とかズボン穿いたりとか空しくなったりとか沈静行動で完結するのでは?とw
安く又は簡単に入手し、安く簡単な観方で終わる。
「ああ、やりたい・・・彼女欲しい」と、また空しい人生の始まりと繰り返し・・・
自分もそうでしたw 考える~踏み込まないと「安く又は簡単な完結」に終わるんです。
興奮を得るオカズでしかない場合、これは見せられているだけで
営利企業の思惑にドップリ支配され操られているだけですw
>AVにしても風俗にしても、プロでなきゃいけないですよ!
AVを観て私が感じるのは、提供する側の一部に
<金を出す客を舐めている提供者が沢山いる>って事です。
舐めたAVに興奮してシコシコ・・・思惑にドップリ支配され操られてシコシコ・・・
こういった現実に気付いて欲しいから「考えて下さい」と言いたいんですね。
性という罠、安く簡単という罠、重なる罠に理性は飛びます。
寧ろ、飛ばしていると思います。景気云々ではないと思ったりもします。
良い悪いの評価を「自分には合わなかった」と感性だけで留めるのが稚拙です。
「自分には合わなかった」でも(・∀・)イイ!!です
例えばカノジョと別れて「自分には合わなかった」と
例えば離職して「自分には合わなかった」と
よくある結論ですね。
女優のインタビューを飛ばしますね?
オープニングやエンディングにある監督名を見ませんね?
チャプターで飛ばして観ますね?
よく見る男優さんはいつもどう?
何故良いのか?何故ツマラないのか? 理由を考えることが第一歩。
ちょっと考えれば制作意図や出演女優、つまり人間考察に行き着きます。
結局、自分の趣向に合う監督と女性とのマッチングなんです。
AVの延長線上に実際のSEX~リアルでのSEXがあると捉える事は
馬鹿げたことでは無いでしょう。
指の使い方や電マや体位じゃないんです、これは二次的なものw
見せるものとして演出の一部です。
安く簡単に性行為を捉えてしまった雑な概念が広く浸透してしまうこと
そして結局身近な異性にこれが反映されてしまうのではないかという危険性なんですね。
「AVと実際は別物」と線引き出来る場合ですが、マスターベイション面で満足してしまうと
実際面は意欲的では無く減少するのでは、と指摘しちゃえます。
---ではタイトル「アダルト関連の安価設定による影響と問題について」から外れます---
「どういった女優(女性)が、どう感じ、どう乱れているのか」
「どこの誰が何をやっているのか」という事です。
誰が何をやっているのか・・・と
ココから突っ込むことで異性を理解する歩みが始まるんです。
AVという観られる舞台に上がった女性たちですよ、裸を見せるだけなのでしょうか?
もしかすると「私という女~人間を見て欲しい」と潜む人もいるのではないでしょうか。
AVとは云え出演女性への純粋な想いは理解に発展し、実際に反映されます。
「オレ、恋したような・・・キュン」大いに結構です!
AVに考察を用いることは「自分は何が好き?何を求めているんだ?」という事になります。
結局の処、自分を知ること・・・自己理解なのです。
もはやAVの範疇から外れますが、枷を取り払うことが重要です。
音楽、映画、本、衣服、家具、仕事、社会、世界、対人
たまたま生まれた時代の全てに接し、ただ時代に流されシコシコするのでしょか?
そうではない筈です。
接して経験し吸収したことで、理解し考え、それを実践に移してきたでしょう。
感覚したことを分け隔て無く扱えば、人生が少し満ちたものになるのでは・・・
何故ならば、経験と思考を以って人間は成長する生き物だからです。
考えることで理解を深め消化し、それを実践する生き物だからです。
随分長々と弊害盛り沢山で散らかったものになりましたが
私が現状で纏められる全てを書き留めてみました。
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