イトコの中では一番年上だった。歳が離れた従妹を弄って遊んだのは中学の頃だった。特に子守や面倒看で相手をした訳ではなく只の気分的なものだ。ちょっと可愛かったし親戚揃って面倒を見ていた過保護(と云うか事情)に嫉妬したのか思春期の僕はヤツをよく泣かした。泣かすことが遊びになる男児と同じ。
「もう、きらい!」と言われる位まで弄ったのだが、でも本当に嫌いだった訳じゃないのでそうは言われても遊んだ。肩車したり、側溝に落とす振りして脅したり、ビーチボールを加減して投げて額にブツけて遊んだりと。おでこに当てると笑う。ヤツは取ろうとするんだけどおでこから跳ね返ってくる頃に、ワシッ!と掴む動作がやっと始まる。痛くないだろう、それにケタケタ大笑いしてとっても楽しそうだった。ヤツ、と云っても女の子なので彼女が小学6年生に上がったと同時に子供扱いするのはピタリと止めた。僕が22歳時だ。彼女も多感な時期を迎える、こちらから距離を取った。親族宴会になるとお酒の勢いからかおじさん連中が年頃の従妹をからかってた。思春期女子に対する猥褻な発言?の類いだと思いたまえ。僕はそんな卑猥な大人を見て「真似はしまい」と記憶したから彼女に「もうお前は子供じゃないぞ」と僕なりに態度で示したかったのだと思う。
同時期に従兄家に男子が授かり、1年毎ではあったが帰省の際は徹底的に遊んだ。野山を歩き回り/走り回り、汗と泥にまみれる男らしい遊びを堪能した。次男が生まれ遊びは賑やかになった。先の女の子とは違い、2人の我侭を聞いてはアチコチ移動し走り回った。男児と遊ぶのがこんなに楽しいものかと実感した。ある年、帰り間際に寂しさから下の子が涙を流して別れを惜しんでいたw。この時初めて子どもが「また遊んでね」と言う機会を体験した。新鮮だった。自分が子供時分に同様の発言をした記憶はない。周りにも居なかった。どれだけ素直で純心なんだろうか、驚き余って照れ臭くなった。そんな彼らは今もう大学生だ。
オッサンになったせいか若いやつを相手にすると説教染みた事を言う。
ツマラナイ過ちは味わって欲しくはないが、やはり体験しないといけないから無理に止めない。でも如何に大変なのか、如何なる問題があるのかは必ず言う。言われた事が後に解ればいい。明らかに拙い事は辞める様に疑問を与える。それでも選択した後の失望は本人が噛み締め収めるしかない。厳しさよりも、これが自立だと思う。自分のお尻は自分で拭くしかない。
人は感受したことを衝発する生き物だ。文字が溢れ、知識と思考がウオサオする世界を堪能したが、やはり気概がそれを上回る。知性や感情を凌駕するのは本人の前向きな気持ちなのだ。
若年やこれから生まれてくる人達から教わったこと。
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