久々mixiにログインするとバースデイ祝いの受信を貰っており感謝を示した。7年前から時折の利用に過ぎないものだったが、積もり積もって120件程当時の記録が残っている。実は、それらをこのブログに移動させて消去するつもりでログインしたのだが。
許可アカウントはほぼご健在で(放置だろうけれど)、未だメインで利用している知人も居た。「mixi衰退」とよく言われているけれど、ココはココでちゃんと利用されているんだな、と。けれど同時に感傷的な気分に襲われた。
気が付くと使わなくなったサービスは多い。
igoogleがそう、同サービスは今年11月で終了してしまう。或るジャンルのフリーソフトもそう、久々 DLしてみたら同種ソフト群が採用するインターフェイスとは違い、異様に独特な操作とツール配置が反って使い難い印象を与えていた。これでも以前は使えていたのに。
それでも「使い易い」と言う発言は見るし更新もあるし書籍も出ている。
感傷的になる理由とは、それを勝手に憐れんでいる自分が居るからかも知れない。そうでなければ、与えられたもの全てを活かし切れない自分の不甲斐なさに心底滅入ったからだろう。
ツールと呼べるフィードやソフト等には残す/残されるものは無い。削除も容易に行え、後腐れも残念も無い。けれど SNSは勝手が違う。
割り切って登録したアカウントならどうでもいいし、そういう軽い気持ちや、そもそも切って捨てるつもりで用意したキャラクターなら良いのだが、そうでは無いので中々スッパリ抹消する訳にはいかない気分になる。自分は付き合いを大事にする一般的感覚を持ち合わせていないので、これからも何処で何かを利用する度、同じ繰り返しとなる。これは自戒しているつもりだったのだが。
便利と都合の波に乗るのも正しいけれど、それで付き合いが遠退くのは、サービスのせいではなく自分の場合、この性向と資質に関係がある。どうせまた新しい世界的なサービスが生まれて人が移るんだろうけれど、場所が違ってもアクセスし易い仕組みも欲しい。
気が付くと忘れてしまっている事は、昔の自分を見返すことで思い出される。だから、消すにも先ず整理が要る。放置が一番拙い。何れも整理が付けばアカウント削除を行っていたのだが、SNSばかりは例えコメント主が長期放置であったとしても、消す消さないなんて気にしなくても良いのだが、移動は済ませても状態維持にして置こうと思う。自ら進んで選択を示さないと、他にも迷惑を掛けるものがSNSサービスだと思う。
そして、色々言われている mixiだが、アカウント削除ではなく放置状態が多いということならば、サービスを向上させる事で、また利用者が戻ってくるかも知れない。モバイルサービスがどうのこうのフェイスブックがああだこうだ、ではなく。
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