当月の記事 "見ておくべき映画って何?"で触れた 座頭市の話。
私は70年代生まれだが、テレビ放映(1976-79年)の記憶は殆ど無い。但し、座頭市の概要は知っており、最も記憶に残る 1989年作品を見た時に「座頭市(勝氏と世界観)はホント凄いな」と圧倒された。そうして、2000年代のリメイクフォロー作品群(2003/2008/2010)を観るに際し、面白さの基準は 1989年作品が基であり、期待は「1989作品&勝新に迫る外伝またはリメイク」だ。リメイク初見時のそれぞれの感想は「物足りないが悪くない」だったが、今漸く1962年以降の劇場作品群を見始めて、リメイク群への評価が変わる。
もう何と云っても散々既出ネタだから、レビューブログを探してリメイクの駄目さを読み漁るのが楽しい。200文字30分程度のアフィリブログも読んだり、考察凄まじいレビューを探し出せた時は駄作への意見が二転三転する。そして私が、こうしてワザワザ駄文に起してウェブ公開する理由は、故・勝新太郎氏のオリジナル劇場シリーズが与えてくれる興奮に依るものだ、間違いない。
興奮して千数百文字ほど書いたが、どうやら纏め上げる気力とオツムが消え失せた続き。
後日、東映作品紹介文の強調部分を変更
興行失敗の2010年作品について、やっぱり言いたくなるw
酷評ばかりだ、もう不満を言いたくて我慢出来ない視聴者が大勢居る証拠だ。近年ここまで不評を買った駄作は無いほどの超駄作っぷりだ。酷評するに値しない超駄作であることを示す為に敢えて記事にしない人も居る。でも、私的に 2010年作品は時代劇として悪くないし、そこそこ面白いと思っている。
主役俳優の居合い構え |
殺陣師
クランクインの10ヶ月前くらいから、殺陣の稽古をしてもらったんだけど、練習中まったく目を開けない、トイレに行くときにも目を開けない。自主的に、目の見えない人たちがしている卓球の練習に通って役づくりをしている。
そういう話は、まあ、上映キャンペーンのときに、いろいろな記事で書かれたとおりなんだけど、本当に、あの姿勢、謙虚さには感動しました。小さい頃から踊りをしているから、殺陣を覚えるのも早い。ほんと、久しぶりに素晴らしい役者に出会ったなあと思いますよね。
そりゃ、あの作品の集客は、勝さんの座頭市には遠く足元にも及びませんでした。そもそも、勝さんが生涯を懸けた名作のリメイクという時点で、僕には無理だと思って、最初はこの話をお断りしていたし、受けてからも毎晩眠れなかった。非常に難しい作品だったと思う。
でも、ひとたび腰をあげれば逃げるわけにはいかないし、僕は全力でやりました。ほかのスタッフも最後まで全力で関わったし、久しぶりにいいチームに恵まれたと思っているんです。(via: http://www.kyotoarashiyama.jp/toei/vol05/04.html)
ここまでやってるのに、それらしく見えなかった/演じられなかったのは本人よりも周りに責任/過失があると思うw
殺陣師も「無理だと思って、最初は~」とあるように、そもそも企画段階から終わっていたんだ。
座頭市は"勝氏しか演じられない"半ば伝説の殿堂入りタイトルで、座頭市リメイクの奔りとなった 2003年作品の段階で「あwやっぱ勝新じゃないと無理だよw」と結果は出ていたと思うけれど、世界が好感を示したので制作関係企業が期限内に第二第三の座頭リメイクで稼ぎたく各所へ話を持ち込んだのだろうか、と想像してみる。
やはり、この東宝の説明からして何かオカシイ。ちょっとトチ狂っている。
人間の業を真正面から捉え、濃密かつユーモア溢れるエンターテインメント性に富んだ時代活劇の傑作シリーズ『座頭市』。孤独な流れ者の市が盲目でありながら神速の刀捌きで人を斬っていく、その世界観が多くの人々の心を捕え、勝新太郎、北野武らによって数多くの映画化が果たされてきました。その数、実に28本。それはまさに日本映画の1つの伝説と言っても過言ではないでしょう。そして、2010年。『座頭市』シリーズはその集大成となる『座頭市 THE LAST』によって完結することになりました。
最後の『座頭市』となる本作で描かれるのは座頭市の人生の最期です。
自分の意思に反するところで人を斬り続けざるをえなかった市にもどうしても斬れないものがあった…。愛する人のために刀を置き、普通の人間に戻ろうとする市。そんな市が人生の最後に辿り着いた切なすぎる境地とは?
本作では今までの“流浪に生ける無頼”(ヒーローというよりアウトロー)としての『座頭市』の正統な流れを受けながら、これまで描かれてこなかった市の生い立ちや人を愛する市の姿も描き出します。妻もいれば友人もいる人間味溢れる市。故郷に戻り人々との絆を取り戻す市。それは単なる勧善懲悪ではなく、友情であり、愛であり、絆であり、人間の温かい部分を描いた感動の物語です。見かけにとらわれない、見えないものにこそ大事なものがあり、見えないからこそ強くなれた座頭市に流れている普遍的なテーマ性は、先行きの見えない今の時代にきっと深い共感をもって受け入れられることでしょう。
(via: http://www.toho.co.jp/lineup/zatoichi_the_last/)
この制作主旨説明が全文お笑い話として読めるのは、単(ひとえ)にオリジナル映画シリーズの凄さなのだ。オリジナルが凄過ぎて、リメイク監督同士の応酬が更にクダラナク読める。
2003年監督
「監督が阪本順治っていうから、わりとまともなものになるかと思ったのにひどかったね。そもそも香取慎吾を使うってのがおかしいよ。(『座頭市』を)見事に終わらせていただきましたんで、賞をあげるよ」
2010年監督
「『座頭市 THE LAST』は僕の中では傑作だと思うし、香取慎吾も素晴らしい役者だと、自負しております。最後に『コマネチ』をやろうと思いましたが、荷物(トロフィーと賞状)があるので、やめときます。ありがとうございました」
(via:
東奥日報 http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/entertainment/20110310010003271.asp)
なんと醜い応酬なのだろう。
香取慎吾は何も悪くないと思う。取り巻きの、お偉い処の、馬鹿共のせいじゃないか、と思えてきた。
2003&2008リメイクは逃げ道を作っている(と巷で解説されている)。到底適わないから金髪とかタップとか、女性に置き換えてロマンス/オシャレにとか。ところが、2010年は真正面から当って砕けに行った。その勇気と健闘を称えられることは叶わず、砕けた上に叩かれて潰れて塵になって「無かったことにして下さい!いえ、無かったことにします!」だw ナシに出来ないのはディレクターだけで、晩年まで意地を張るしかないだろう。
そもそも、若いし動けるんだから殺陣は頑張って欲しかった。クルクル回って舞えばいいのだ
目にも止まらぬ神速の居合い抜き!そんな映像演出は「関所破り(1964)」で誇張される。
上の動画は第三作(シリーズ初カラー作品)。クルっとヒラリとスパっと、こんな感じが座頭市の居合いの舞い。
2008年作品はの殺陣は久世氏担当、主役の殺陣シーンは少なくスロー多用だが、座頭市らしさはある。このようにクルっと回って斬られに来た役者をバッサリ!
2008年作品は、妙に意識して作られたドラマっぽさ、バッサバッサと主役が居合いで斬りまくるシーンが無いなど不完全燃焼すぎるが、もしかすると「観てスッキリしたい男達は、自分の右手を使っておくれ」とゆーような主旨で話とか演出とかカットとか無理矢理なされているかも知れないが、まぁ何にせよ主演女優は可愛かった、ウン素晴らしい。
で、2010年作品の駄目な殺陣シーン
振り回すだけで足を使っていない。寒いのでさっさと終わらせたのかと。。。
これこそリアルな居合いなのか、正解なのか間違いなのかハッキリさせて欲しい。
「座頭市は版権の都合で、これで映画化されるのは最後なんですってね。あたしビックリしました。あなたで終わりでいいのかって」~黒柳徹子氏が全国放送で語ったように、もう一回いや、、いっそ劇場シリーズで起用して役作りさせたらどうかと思う。勝新も作品毎に役が板に付いていってるんだし、香取くんにボチボチやらせてみても良いんじゃないかなーと。その代わり赤字上等で。責任は制作関係が取れよ。
画像で紹介。
カメラに写る物は良いのに、肝心な所が駄目っぽい。非常に勿体ない。
ロケーションは良い。初夏~初冬の山形庄内。
制作費5億。
様々なフォーカス。演出とかベストなレンズ選択を意識させてくれる
広大な景色とセットはクレーン撮影でアップダウンズームインアウト。クレーンのガタ付きに注意。
斬り合いを超望遠撮影&クレーン上昇、までは良かったが最後の斬り付けで超ズーム。
結局よく分らない剣劇シーン。
・壮麗過ぎる桜がメイン、主演者は場面アウト
・斬るには明らかに遠過ぎる
・画面左へアウトして、次は右から突然飛び込み斬り。
盲目の感覚を観る側に伝える手法? ご本家は「あっしはただ風を切っただけですよ」とか言います。見えなくても音がクリアな情況では敵位置を把握してますし、隙を突いて飛び込んで来られても反射速度が凄いので、そうそう斬られることは無いんですね。
・中々死なない場面、は良しとして、隙を突かれ仕込みを弾かれて ポロリ。鞘の活用に繋がり登場人物の憤りを晴らし果たす場面ですが、生々しいのか単にバタバタしてるのか。
時折「ギャア!!」と叫ぶ面々、元気があって宜しい・・・。
「丁度このへん痒かったンスよ!」以降、本家座頭市に用意される お惚けシークエンス。反町さんのツッコミ顔が活かし切れてない、勿体無さ杉
キャラクターの気持ちが高ぶるシーンで「うわあ!!!」と雄叫びを上げる演出がありますが、正直って最近のキレ易い人達を表現した現代演出なのでしょうか? 感極まって言葉にならない叫び、こういったシーンは余程の情景が重ならないと難しい。いとも簡単に「うわああ!!!」なんて叫ぶのは「なにこれ今時の映画撮影とか現場でよく役者さんが叫ぶの?気合入れるために?」とか「ここで発狂するかのように叫ばせると共感を得るだろう」とかいう人種傾向的な・・おっと!
いずれにしても、このような突然声を張り上げるシーンが散見するものは気狂い的印象を得ます。
取敢えず、この位で。
ロケーションもセットも役者さんも良いんですよ、新旧 主だった俳優さん出てて全く悪くない。でも出来の悪さはカメラに写ってる俳優さんが被る訳です。それはやはり制作側の偉い所が全く謝らず素知らぬ振りしてるから。連帯責任とか無いです、ハッキリ悪い場所/人物がいるでしょ。
間違いを通して不味いものに仕上げてしまったなりに、何処か誰か当事者が認めないとね。
勝新太郎の座頭市、劇場版(1962-1989)を順に観ている。
私の世代ならテレビシリーズが古い記憶にあるかも知れないが、最も明確なのは1989公開作品だけで、これぞ正統/正規の座頭市である。シリーズ初期は「めくら」という蔑称台詞が頻繁だが、同時に「めあき」という対語もある訳。それは銀幕の中だけであって日常での使用は差別とか侮蔑だったろうけど、多少に関係なく対極が口を開けば必ず対立構造になる訳だ。「それで情強気取りかよ」「社蓄が説教かよ」「健常のクセに障害ハメやがって」。古い時代の蔑称を聞かなくなっているが、言い回しや語彙力を逆手に取った誹謗は多い。これを可能にする知識力獲得は武器であるから他者を制圧するのに有効だ。まぁそれでも完璧有知というものは有り得ないから、無知が無知を貶し合ってるだけだろう。イイネ話や的確な話題提供とかニーズを探りながらバラ撒く瓦版屋は、手探りめくら提供者が情報めくらに対しニュースを流す、という‥書いた処で意味は無い。見えてるから見えねぇものがあり、見えねぇから見えるものがあるんですよ、旦那。ですからね、どっちがめあきだか、どっちがめくらだか判りゃしないってねぇ、旦那。2013/4/15 06:41
参考
勝新太郎|wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/勝新太郎
いっつぁ~んっ! --- 勝新太郎 座頭市シリーズをめぐって
http://atalante.exblog.jp/5873728/
勝新・座頭市から遠く離れて
http://atalante.exblog.jp/8201686/
れっどちゃん最近何してるのー
返信削除luvcjp
最近は座頭市を見たり、アニメーションGIFをKB以内に抑えるにはどうしたらいいか色々やってみたり、「あーやっぱフォトショCS買っとけってことなのか」と行き着いて、再び以外の方法でGIF作ったり。
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