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どぅーしてココに着ちゃったの?!
  ここは redo_chan という、よく分らない匿名ユーザーが鉄則から外れてブログっている Blog です。

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12ヶ月飛ぶ

「2月逃げる」
3日少ないことが帳簿からよく分かる。勝手な都合で今日は締日。悪くない数字だ・・・おかしい、今月は不景気を味わおうと楽しみに迎えたのに裏切られてしまった有難う。

省察するために

「大通りとて深夜と曜日が重なれば静寂なる狭間が生まれる」
信号機は絶えず仕事をし、通りもしない車両に対し「止まれ、止まってくれ、止まりなさい」/「行きなさい」と指示している。ただの機械は反復作動しているだけである。息抜きの一服もせず案山子の様につっ立っている。走る側には必要だが全く車両がいないのに、いるかの様な行動に寂しさを私は感じる。私一人が君の指示に従い、無視してもいいものを、次の指示に移るまで、君を見つめ呼吸を整えながら、待っている。この、動いている空間が止まる瞬間を感じた時に生じる私の中の刺激、これが孤独なのだろう。いかにいつも絶え間なく刺激を受けているかがよく解る。笑顔で近寄って優しい言葉で誘って艶かしい手つきでそ、そんなとこ触らないで、警戒せずに顔を近づけ唇を厭らしく尖らせながら吐く息は顔面に辺り、もうギンギンです、抑揚のある際どい言葉は淫らに中傷する。顔は視線から下がり行動に移す口腔。言われるままにされてあっという間に脱がされて祀り上げるように高い所へ置かれた私。あぁこの目線/視界は人知を超えたかのように思えるのに何故色物を観るような視線を浴びているのだろうか、でもそれが快感だ。とするのも良いが絶えず刺激を頂いても私の気持ちは萎えたまま申し訳ない程萎縮している。勢いあった痴女達もやがて宥めてくれる/気遣ってくれるようになった。必要な時や場に勢いがある時それに合さず、個が作動し続けることは何かに似ていると思った。とすると何に対し指示しているのだろう。

渡ろ 渡ろう なに見て渡ろう

真っ赤なカレンダー

ブログカレンダーを見てみると毎週土日休みに加え平日にも沢山休日があるように思えて私は嬉しくなる。一体どんな仕事してるんだろうか。これだけ休みを取る生活とはどんなものだろう。若い時無職になって4ヶ月間自宅に篭り、趣味だった音楽制作に没頭したことがある。迷惑/心配掛けたが凄く楽しかった。望んで無職になれるヤバイ自由を簡単に手に入れられる歳だった。30万程溜め込んで迎えた"素晴らしい引篭もり生活"は一日16時間、音という粒と空気にまみれていた。もう音源が残ってないのでその時の愚かさを噛み締めることが出来ない今ただ幸福感だけが片隅にある。3ヶ月後半からムズムズ働きたくなったし、余りの怠慢さと異常さに業を煮やした父上から一喝されたこともあり、シタタタと定職に就いた。その後9年勤め上げた前々職だが4年目辺りから残業を好んでやるようになった。サービス残業4時間。職場に12~14時間居る事になる。趣味だったものは趣味ではなく社交の道具になっていたし、居残ることで職への責任感が大いに増した。例えば休憩室にオネイチャンを連れ込んで一発2hシコタマヤリまくることも出来たので便利!体を使う仕事ばかりだったが一日8時間で終わり大型連休を何度も頂戴出来る企業に勤めた時はそれはそれはお天照道様に申し訳ないと本気で頭を下げた。しかしなんだな、こんなに仕事が好きなのに裕福ではないのが不思議だ。雇われでも職場に金をつぎ込んでしまう私は素敵な人材だ。思い返せばそうやって頑張った過去が馬鹿に笑えて仕方ない。たった一人の今もそうなのだが思い返すまでもなくこの馬鹿馬鹿しさに笑いが出る。過去の反省で淡々と始めたのだがそれではやっぱり満足出来ないようだ。安くても構わないせっせと働くから、どこぞの大社長さんわしを雇ってくれませんか?金で雇われるのではなく、雇いたいとゆー大社長さんの心意気に私は雇われようぞ。でもですね、何億詰まれても今の仕事は当分辞めたくないんですよ。ごめんなさいね♪

来月からきっちり月2休みます。ご理解ご了承お願いします。


暇すぎてお先真っ暗

「も、もうだめぽ」
最後に慌てて打ち込んだ為こんなことになってしまったらしい。中2日を開けると心配の余り憂鬱になる者が多数発生するので、たまたまココに訪れた者の為にちょっと足跡を残しておこう。冷静に考えてこれは日記扱いなのだろう。そこんとこヨロシク。ググってみるとブログがよく引っ掛かるがどれを読んでも面白くない。それをそうですかとするのは困難だし、違うと解って違いを楽しむ程度である。隠された事実がある限り個人の思考力では限界がある。卑下も賛同も簡単だし取り敢えず歯止め残した自由ってことだけがここのしきたりでそれは新聞記事にも及ぶ。個人の感想を入れた途端に酷く低質なものが溢れかえる中に紛れるのが丁度良い。今までは自分だけのものだったことで実は安全を手に入れていたものもちょっとアクセルを踏み込む先の気持ち良さとリスクが釣り合わなければ楽しむことも難しい。先日お邪魔したチャットルームでわしに語った奴が少数派の楽しさを説いていた。流れるように打ち込んだこの文章に唾吐かれることこそ実は楽しさであって仲良くされるのは好きではない。きっと違っていたいんだろう。自己が明確である者に私は惹かれ、それを喰らおうとする。それが大物ならご馳走だ。圧倒的な存在感を有する悪魔がここ最近寡黙に絵を描き続けてる。喰いたくても味見すらさせない悪魔が大好きだ。本当に確立された者は公の場に姿を現さない。闇に喰われる前にもう少し居てやるよ。
俺って結構えぇヤツやろ?

逮捕ー!


春風の如し

「煩悩壱百八つ ゴン!ゴン!ゴーン」
時間と自然の移り変わりを楽しむ質なのでちょっとした陽気に敏感だ。せめて移動中だけはそうしたものを感じていたい。カチャカチャとキーが奏でるタッチ音が今を彩る。珍しくこの時間この空間にBGMが流れており換気扇の音にも敏感な耳になっている。描写しながら最近の陽気を、春の訪れを、肌で感じたことを思い出す。雨でもなんでもいい、少し気温が上がれば瞬時にそれを察知できる。空気中には春の陽気がもう漂っている。花粉か?とも思う。肉体労働に従事しておった時期が結構あるが幸運にも発症していない。まぁその内なるだろう。
寒さが長引き、頭にきた昨年を教訓とし今年は素早く身近に暖房器具を置いた。一つでも熱源が増えれば空間全体に影響を及ぼし随分と体感温度が変わる。寒さはまた貧しさを帯びるのでさっさと導入して良かったと思う。明るさもそうである。蛍光灯たった一つの部屋ではこじんまりとした心境をもたらす。金属や硝子など光沢を帯びるそれら表面は少しばかり暗い明るさの下だとヤケに些細な傷が目立ってしまうのである。光量減は反射が抑えられ真実が肉眼に飛び込む。マジマジと見てしまい至る所キズまみれ、暗い部屋で尚更ビンボー感を味わう。試しにほれ、カーテンを開け陽光を沢山取り込んでみされ。温かさと眩しい幸せに満ちるであろー。空気中に漂う埃までハッキリ。明るさと暖かさはとっても必要なことである。かといって朝日が昇る頃帰路についてはイカン、これは反省すべきこと。朝日と共に起き日が暮れる頃に事を終え夜が染み始めた頃もうゆっくりしている。やりたいことはソコソコに人生の三分の一はお布団で過ごすべきさ。

ママァ~もう少し起きてて良い?

白紙に向かう時

「宇宙を表現すること」

昨日の夕刻だったか20日付が空白になるのを嫌い、この画面に臨んだが指が動かなかった。タイトルは同じく今は文字が横に並び連なっていく。こうしたものに取り組む際、あったことを書くのは楽だがそれでは晒しになってしまう。それを嫌っていたがそうなると自己を燃焼させねばならぬ。この場合適当に過去から引きずり出すとなるとつまらない物になり私にとっても良くない。過去を拾うことに面白い事はないのであるから皆様もそーであろう。大袈裟な脚色まで行き届いた読み物は時間が掛かる。特に発想があれば良いのだが其の時折の気分に左右され最近はそんなこともない。今夜の雨は静かすぎて酷く落ち着く。こんな時は現状に向かうのが筋だが自己を見つめるのはちょっと控えたい。そうしている内に今回のこの内容は取り立てて意味の無い報告になってしまうが、それはこのタイトルをつけた時から解っていたことだ。刺激を受ける際それを上手く利用できないこともある。ひょっとして見逃してしまい気付かない時それは幸せであるのか不幸せなのかも解らないことがどうにも不条理で自然でよろしい。私の螺旋を描くリズムが丁度緩やかになったのだろう。規則に沿っている証拠である。あまりに調子が良い時、それは宇宙から飛び出すことなのだから。

MILD9⇔SUPER5

「本日両替業務はやっておりません」
最近毎日ウッカリが多く百円玉と十円玉の両替を忘れてしまっておりATM探しに奔走した、と云っても少々小銭を作るだけのことだ、自販機で珈琲買えば事足りる。
多数自販機を並べておる近所の雑貨屋にてちょいと助けてもらおうと"チュリーン ポチっと ガシャンコ! チュリーン ポチっと ガシャンコ!"あっという間に18枚の銅貨を手に入れた。ついでに煙草でも、と行動に移したのが間違いだった。以前ここの自販機は自店管理だとゆーことを知って一抹の不安を抱いた。店主は老夫婦だ。委託にすれば手間は省けるが儲けは減る。しかし歳取ると急激で些細なデザイン変化についていけなくなるのは仕方の無いことだが、それを実践してくれておるからそうだったのだ。前回の事実確認から一月は経っている、もう1クールしただろう、どら買ってみるべ。

出てきた煙草は理不尽な外観をしておった。「お、男ができますた!」生まれたのは女ではなく男だった場合、パパは哀しかったりする。
タールとニコチン量が多い方が出てきた。それは宜しくない。しかしまぁ幸い同じ銘柄だったので風に流すように左のポッケに突っ込み帰還する私。危険度レベル4のそいつを吸ってみるが案外吸えるんだな。わしの肺はまだまだ元気じゃ。パッケージには「喫煙は、あなたにとって心筋梗塞/肺がん/脳卒中の危険or原因~」と痛々しい文句が印字されており其の内「あなたにとってインポテンツを引き起こす」とか「あなたにとっても周りの人にも」とか「あなたのせいで」とか「あなただけが」とか「明日にでも死ぬかも。 詳細については厚生労働省のHPにて・・・」なぁんて印刷される未来が来るかもしれないが、そんなことはまずないだろう。こんな誤植パッケージが誤って流通してしまったら幾らで売れるのだろうか。些細な違いを味わいながら夜が更けていく。"出てきてビックリ"が生活の合間に起こるとは愉快な一日であった。

あしたもいいことありますよーに

小さな親切けっこう無駄

「意味わかんね。意味ないっすよ。」

以前の職場で若い先輩から言われた一言がかなり感核に突き刺さった。直接で簡潔でズバリその通りの言葉に、ちょっぴりの可能性とか大いなる無駄を全く感じない"割り切り"を悟った。効率を追求し利潤を考え協調とスムースを築き皆が苦痛なく働く大きな場にとって、その言葉はお似合いだった。

もしも もしも

「もしもしわたしリカちゃん、お友達になってね!」
(続きはファナティックです)

ギブミー休み

舌打ち
雨が降ってきた。今朝の雨は辛い。今日は一応自分で決めた休日だし予定もあって日付が変わる前にさっさと闇に紛れて消えるつもりだ。叫ぶ元気もないので舌打ちにした。

ギブミーチョコレート

「ギミギミギブミ~ミッドナイチョコレート」
キットカットとアーモンドチョコレートが大好きだ。もう半年は喰ってない。チョコレートケーキは大っ嫌いだ。一ヶ月前に喰った。冬季オリムピックが開催されておるが朝一番のニュースは兎角ニホンジン選手の結果とシーンしか流れない。開催以前からちょっとした大会が開かれても、やっぱり国内選手のみ取り上げたニュースは大いに不満だった。先日ダンスフィギュアスケートを観た。世界各国の選手達が健闘し上位に食い込む彼らの演技に感動した。華が咲くような艶やかさがある米、カチっとキリっと難易度高い技を決めるPROC、貫禄と落ち着きがあり熟練の技に思わずムクッと腰を上げてしまった露。世界1~2~3位までの演技とかシーンが観たいのであって国がどーとかはどーでもいい。圧倒的な強さを見せる人物はそういないみたいなので実力は競り、時の運/不運が勝敗を決するのであろうか。つくづく苛々する世界。

センチメンタル

「涙じゃないのよ 浮気な雨が」
副題に唄を用いるのがワンパターンにならないようにせねばなるまい。"虚無"とゆー言葉はセンチメンタルだとした知人がいた。今ディクショナリーってみたら古代中国の老子の哲学がドータラコータラ。彼は老子を否定したのだろうか?彼は虚と無をくっつけた虚無とゆー言葉にセンチメンタルしちゃった訳だ。今日のテーマをセンチメンタルとしたのは今日そのようなことがあったからである。些細なことから大きなことまでひっくるめてセンチメンタルしちゃう時がたまにある。深夜の検索で検索を重ねるとそのいった場面に遭遇する。

マイホーム マイドリーム

「夢はなに?」
と問れて即答出来るって素晴らしい。その夢は夢ではないのだろう。目的と夢は違う。そのへん混ぜ込んでしまってる場合なんとも覚束ないものになってしまう。いつでも海が見える場所に住みたくて場所を探した。見つけた場所は雑木林生い茂る急斜面だった。工夫を凝らすことは費用がかさむことであり建てた後に沸々と諸問題が出てきた場合それでもココで良かったよと思わなければならない。出て行けば入ってくる。その増減を目にしている時が楽しくて実質何かを得ていると云えばそーではなかったりするのでしょ?確実に蓄積されていく経験が自分をよりピュアにしていく。見つめ過ぎて視点が変わり異常が正常になり特殊が日常になっていく。社会と個人との付き合いが明確になりルールが煩わしくなっていく。以前はルールの中にこそ自分がありそれが常であり何の問題もなく貢献の意識はないものの一員たる自覚と自信を持っていた。住む場所にではなく在る場所に家があり、見る夢がなくとも夢の中が現実である場合、個体で生存していく力は雄大である。猫はそのへんよく解ってらっしゃるようで、ついその毛でむくんだ体に触りたく傍に置いておきたくなるが、圧倒的に短い生涯を見届けることに繋がる結果で得るものを想い出だけにするのはもったいない気がするがどうであろう。勝手な振る舞いが愛らしく見えそれが許しを得たまま彼らは夢で満ち溢れた世界から突然消えていく。30センチ程の体長が機能的で簡潔だ。そこいら辺で死に絶える場合170センチは不便であるな。

三途の川まで案内して

清々しい深夜

「おぉ牧場は実り」
耕した畑を放置すると草が生え雑草は茂り荒れる。収穫した果実を自分の労いとし大切にした時もあるが、その木をバッサリ斬るのも楽しい。次の木を植えよう。伐った木は何に使おうとも構わない。伐ってみると何の役にも立たなかったと気付くこともある。過去のデータが全く役に立たない今、常に次を考えることの方が素晴らしい。基本は整理整頓、規則的な生活である。それを手に入れようと少しずつ変えた。戸惑いは寧ろ他者にあり、私は彼らの困惑を楽しむ。願いが叶わなくなったと嘆く者の不満が最高の賛辞だ。金を惜しむことは機会を逃すことであり、労力を怠れば視野は狭まる。待つことが出来なければ成就はしないし、現状を知って恐れをなすことは諦めに繋がる。それを踏まえて我が道を行き途中つまずいて怪我をして歩くことが出来なくなってもそれはそれでいい。と思う私についてこれるかな。それではツマラないだろう。むふふ実に気分が良い。甘えなさんなボクちゃん達よ、黒い部分を見せているだけなのだよ。君の願いを聞き入れる為に私は君の弱さを手に入れる。その弱さのなんと脆いこと。何とも冴えないものになってしまった。そりゃそうさ、君が冴えてないからね。

若者よ、熱意がない。全くな

30km/h

「なんぴとたりとも」
数年前はえらく安かったガソリンも今は高い。けれども免許を取った頃はハイオク¥145-だったので今よりは高かった。と考えても今は高い。数々年前は車に金をかけていたので惜しくもなかったガソリン代。たった3百万程で手に入れた視界に死の恐怖と肌が湧き立つ興奮を覚えた。エンジニア達が全てを注ぎ込んだ至宝とも云える結晶は三代続きその胸に存在を隠さない鼓動/息吹きは熟成に熟成を重ねた。最新の一般車両も随分性能がよくなったがそれ一台一台はどんどん"道具"と化している。それは安全に?がるので良いのだが、あの車を再び所有することが絶対不可能となった今、手放したことがかなり悔やまれると思いつつそーでもなかったりする。しかしやっぱり女と別れるよりずっと辛かった。踏めば○キロオーバーを体感したが車は安全運転が一番経済的である。のんびり走る今、それはそれで良いと思う。あの車がそーさせたのだ、ハンドルを握るだけで鳥肌が立った、もうそんな車はないのだろうから。
ガス代を考え又駐車料金を考え普段はバイシクール通勤しておるわし。距離的に他者は「チャリ/ケッタマシーン?・・・ご苦労さまだ(時間の無駄だろ/アホか)」とお思いになるのですが、座り放し&篭りきりの仕事を余儀なくされるわしだから徒労じみた通勤はメンタル面に頗る良い。時間と季節の移り変わりや身近な自然を地肌で感じることが出来、アカの他人とのすれ違いすれ違い~。たまにド下手な運転手と刺激的なコンタクト。注意一秒怪我一生を毎日意識できるのである。巫山戯んなや・・・と道に唾吐き捨てる時の爽快感は何よりも変え難い。風向きが大きく影響する自転車通勤は歳を重ねる毎に辛くなるのであろうがその時折のペースで良いと思っている。追い風になると後部座席の子供たちから羨望の眼差しを贈られる「あの自転車のオジチャン速い速い!」全く不利ではない移動を手に入れられるのだ。移動だけで毎日¥280-を棄てるようなことは今はしまいや。

その行動と精神 プライスレス

雨音は安らぎの調べ

ぴっちぴっちじゃぁーぶじゃーぶぅラン!ラン!ランッ!

冬の雨は厳しく静かです。降雨量が少ない里に住んでおるので時たまに降る雨は鬱陶しいのだが今日は喜びの雨であった。4つの音源が違う雑音を奏でる中、平静を保ち手元は苛々と目線は上下に動かし、あぁいい気分。雨はそれまでの汚れを流し粗方を排除します。そんな中タイミング良く訪れる機会は殆どが気持ちの良いもので久し振りに満足出来たから喜びの雨とします。(続きは不快です)

ママに願いを

「ねーねーままぁ アレかってぉぅ」
星にお願いするよりも身近な人に願いを叶えてもらう方が手っ取り早かったりする。
両親は質素な生活を致し方なしとしていたから少年の頃には彼らの子供として慎ましく振舞うことを学んでいた。それまでの怠慢だった私は恐らく誰もがケツを引っ叩いてやりたい位の餓鬼だと思う。少しは改心したのだがその悪癖は性分となり今でも顔を出すのである。怠慢さは投稿時間に表れている。他人の頼みを叶えるべく、間に入って段取りをつけた一日であった。中間マージンという言葉に旨味を覚えるのは賭場を拓いた者だけである。この投稿を不運にも開いてしまった諸君らのお仕事は同じく何らかの仲介をされてらっしゃると思う。仕入れて売る/商品を売る、労働・技術提供/仕事を得る、乱暴ではあるが商品と購入(予定)者の間にいるのだ。そこに生じる責任は心地よく時に苦しい。私は楽しいが。
しかし今日は嫌になった。売り手であり買い手である立場を常日頃繰り返すようになってからどちらの立場になっても驕ることは控えておるつもりだ。私の中ではフィフチー:フィフチーなのだよ。"お取引"なんてことは物の行き交いだけで済ませたくもなるが、どちらもそれ以上に満足感を味わいたいものだ。古いものが好きで今の新しい物にはそこいらへん解ってないねーなんて云う方が、少し大切にしていた物を手放す時はあっけなく済ませるのだなぁと感心した最近である。酷く乱暴だった。云っておくが、古いものしか知らんのだなぁとその無知さを笑う私だ。古いものから新しいものまで全てを知り尽くし一体何が良いのかを見極めつつある私はやはり偉大であるへへへ
古いも新しいも関係ない。皆さんよくご存知であろう。
その人物は高貴なようではあるが内実屁でもない御方であった。新しい者達と古い者達とが触れ合う機会を得たのは幸福であったとする。知れば知るほどこの世の全ては面白い。しかしそれは地球の中だけにしておく。自分が知ったことがこれっぽっちのものだと気付いて「ええ!そんな・・・」と呟く様もまた面白い。知らない物が多すぎる、知らない者が多すぎる

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失われた月光

代わりに星が唄うよ

水物商売が冷え込む時期であっても一部では賑わいを失わない。日銭稼ぎに喘ぐ若者の目はどことなく物足りなさそであったがうつむき加減の目線の奥には光るものがあった。彼とは懇意な仲になってしまっている。が、安心出来る人物ではない。「こちらも危ない橋を渡れと云うのかい?あぁいいだろう。どうせ暇なんだよ。」刺激ある瞬間に私は宝石を手に入れる。宝石を更に磨き入れ至高の一品に魅せる技が得意だが、その為飢えた野良犬には餌と思えないらしい。いずれ機が熟す時の為に耕し、たんと肥料を与えておこう。

石の上にも40年

もしもピアノが弾けぇたぁならぁ

ピアノよりジプシースタイルのジャズギタープレイの方が良い。聴かされたスタンダードJAZZにあやかり初めて買ったジャズCDはギターを嗜んでいた事もあり、BIRELIだった。狂気のスタンダードのライブCDなのだが買った日から今日までたったの14,200sec程聴いた。侍人種には決して溶け込むことの無いこのジプシースウィングはいつだって新鮮に飛び込んでくる。超高速の運指はさておき、別段難しいことはしてないとゆーことなのだが恐ろしいまでに射ちまくるコードワークはとても軽快/美的で尚且つ悪戯ぽい弾み具合は、MINH DOKYのブリバリ飛びまくるソロの裏でも邪魔ではない。天才達が楽しそうに遊ぶ演奏に私もウキウキする。

煙草ガンガン

湖上の煙ぃ~ぃ~ 火の粉がパチパチ ヒノコォガパチパチ

酒の嗜みは棄てても肺癌性の嗜みを止めるつもりはない。先々を見越して一箱参壱百円になるのなら一本につき50銭の課税となる。キリが良いので是非やってくれ。ぴっちり引かれる境界線と射幸心の煽り過ぎが小遣い稼ぎのネタを奪う昨今物に頼る幸福感が乏しくなりつつある。ここ数年来一番の幸せと云ったら食事であった。グルメブームを経験した私も一流ホテル級の味付けを幸運にも知ることが出来た。

食べたら飲む

クラコウジア発ニューヨーク行

立て続けに観た洋画のエンディングは薄暗い朝だった。話をすれば時間は過ぎるし度々トイレで用を済ませば水が流れる。低いところから高いところへ流れ落ちるものがないように今日あったこと全てに意味はなかった。法則に反する事象が身の上に起こった時、不可解さよりも理不尽さに私は憤る。欲求を叶える訳でもなく浪費の為に私はダシにされたのだがタダでは終わりたくない故に私も惨めな浪費に身を落とした、高きところから低きところへと。薄暗い朝が御あつらえ向きだ。この偉大さが放つ強力な引力に集まる塵や塵を今日は受け容れてしまった。よく払わねばならん。恐ろしいまでの異彩を放つことは、まみれた垢を払い落とすことでもある。変容し燃えるような言葉を吐く友人が恋しくなった。唯一この導師を超える彼が姿を隠して久しい。いつもは好んで食べていたが今日は喰われたようだ、どうりでムカムカする。そう云えば星座占いが当たっていた。・・・尚更悔しくなった。
好き嫌いはいけません!