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どぅーしてココに着ちゃったの?!
  ここは redo_chan という、よく分らない匿名ユーザーが鉄則から外れてブログっている Blog です。

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ラベル φ 赤っ恥な哲学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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人のベール、皮か芯か?

twitter おすすめユーザーを見流してた時の話。

マイフォローさんがフォローしている人物アカウントが掲載される。この単なる関連(レコメンディング?)抽出機能に然程便利も感じない訳だが、ドキっとする人物が、数人のマイフォローさんからフォローされていた。

ドキっとする人物、つまり思想・信仰や価値観の自由からいって問題ないけれど「今日~明日近い将来について助言します、決して占いではありません」とか言ってバンバンツイート焚いてる、こういう人達。

「人達」 なんです。特殊能力だと思うけれど、今の世の中じゃ特殊じゃなく特別能力なのです。希少性ある偶発能力ではないんです。別件、こんなにも撮影機が増えたのにオカルト系のスクープは鳴りを潜めました。まぁ当人らの強い思い込み自論、決して考察しない姿勢、過度に宣伝する態度などが拙かったせいもあります。

さて、事実確認や理論を常用して支持を得ている人(文屋とか教授)らが、こんなにも理屈とは程遠い人物をフォローする理由が見つかりません。まぁ、他人である凡庸以下の私が考えたり想像しても不明なのは当然です。単に「好き、興味がある」だけなのかも知れません。

自分は幼少の頃から神仏系に軽い興味だけありまして、周りの大人たちから不可思議に、一方では"影響されやすい子供"と評されておりました。信心もありましたのでオカルトやSFへも同様に清らかな信心を抱いておりました。オカルト大好き青年でしたが今では超常現象系は殆ど「やれば出来る人たちの構ってちゃん虚言」として否定します。

周りの大人も老いて次々亡くなっていきます。すると、仏門系の檀家なら大衆向けの経典を唱える機会が増えます。経典は、簡単に言ってしまうと(仏教関係者様すみません)

南無南無~えーと昔昔のことでした、お師匠様が弟子を集めて以下の様に説きました、その内容はこうです。

とかです。力が授けられたとか伝説/神話じゃなくて

色々考えた、つかずっと考えたところ理屈、つまり真理が見えてきた。だからおまいらに教えちゃう、いや言わせてくれYO ついでに学べよってこと!つまりはそこらへん理解すれば、おれたちおまんらもっと楽に生きれるかもしんねーまぁ簡単じゃねーけどよ

みたいな。世数千年残った宗教の経典ですから、やはり時代の寵児が出版するハウツー本とかセミナーとは違って設定が深い訳です。概念考察とか理屈が並ぶ哲学書若しくはこれを簡略した規則の羅列になるんだと思います。まぁ大分類としては哲学なんでしょう。ですから 「信じるだけじゃ巣食われる」 んですね。余計な飾りと様式が付いてますが仏式の読み物は感想文とかエッセーじゃない訳です。オカルト/SFのファンタジー味は、世界観と経過分の厚みとかなんでしょうか。

端折って(はしょって)書きます。自他共に外に見え易い部分、重なった部分、芯の部分、その芯を構成する要素があるとして、それを丹念に剥いだり観察することで、部分的そして統合的に人間一個体を、宇宙の様な壮大さに例えて見做して見たりする訳です(人体の分子構成とか器官構成とかも含めて)。そのパーツの中に理屈や興味が渦巻いていて他人況してや自分でも意味不明な趣向があって、認めたくない矛盾を「嗚呼これがボクワタシ」とか思いながら、現代規則とガイドロードを進んでいるのだなと、それを経過と共に容認と理解し続けるのが長いお知り合いなのかなという話です。

けど「そんな DQN観察お止しになって」と思いますよー 02:22

Objection! その観察結果に異議あり

外国語を習得した日本人が頻繁に「なぜ日本人は英語を話せないのか?」と問うが、既に答えは出ている。"不要だから"だ。

I don't need to speak English because I don't use Eng,,

です。
印度人の使う印度人訛り英語が高い知識階級を示す独自英語となっても、これを例に和製英語の必要性を説いた処で、そもそも不要だ。経済的移住も無いので移住先の言語を覚える必要も無い。

海外展開企業が自社従業員に課した外国語強勢習得義務が異常なのはヒロイズムトップダウンによるボトムアップ方針が単に不要性強制労働化である点だ。ユニだけにユニフォーム(画一的)なのかも知れない。

こういう事は、身の回りの「全く不要だけどルール/規則なので行っている」ことを介して理解して頂きたい。

他にも「日本人は就学期を過ぎれば学習機会を減らす」という意見も見掛けた。
まぁ、よく解らない。「まぁ」という単語は極力控えてきたが、疲れたので「まぁ」を用いて片付けたい。

何かしら苦労して、ひと通り事を成すと「こんな私でも出来た/解った、そうでない人に解り易く説いてみる」気分になるかも知れない。
是は結構な事だが、中には「私が出来るんだからアナタ達もやりなさい」という非論理的な欲求衝動であり慢心征服欲の最なものでありながら自己感覚できないサイコパスィティックな道理が紛れている。こういった人間は群集の中に紛れ込みながら姿を隠そうとしないので余計に注意が必要だ。

意見を言わない/曖昧であることを指摘されてきただろう。
恥らいだとか自信の欠如だとか、不誠実と狡猾の示しとか、そう揶揄されても仕方ないとは思う。けれども、必要な事をよく考えて注意して言葉に置き換え伝達する人なら「馬鹿と解って、その馬鹿げたことを言う位なら黙っていた方がマシだよ」って考えるかも知れない。そして、そもそも馬鹿らしさに気付いているから口数が少なかったかも知れない。近年 "○○な奴ほどよく吠える" のが顕著だ。

そういう訳で一般的にいう第二言語なんてものは、必要にになれば喋れるようになるモノだ。まぁ、世界中の大体殆どの人間が「自分に必要だっっ!!」と思うことしかやってねぇだろう。

一方でシェアリング/共有がスッカリ公用語である時代だが、"先ず言ってみること"は決して肝心ではない。
そうして、発した後の自省自重を行い、これを怠らず。その為のアーカイブとしてデータツールがあると思う。自己発信ツールは、公共への発信である事を確認し理解して置く必要はあるけれど、膨大なデータ交通量の中にあって凡庸な個人の発信はお題目から外れ始めている。だから一層、自己アーカイブツールなのだ。

city personとかcity slickersとかhitkickerとか


「この田舎もんめが!」

という軽蔑は、住んでいる場所は無関係で、古くて自己都合まみれのモノに対する蔑み用法だったと思うが、そのままズバリ、都会人らしい人が地方人を侮辱するような単純な言い回しになっていることに少し驚いた。



誰でも暴発花火を上げるかも

あらゆるジャンルの著名人達が提供してくれる "いっちゃいました&やっちゃいました私!" ネタは、所謂生きていく(自立)ための人気取りや話題集めの手段だと解ってはいるし、少し又は大きく騒ぐキャンペーンに付加する要素も大事だと解るのだが、流石は著名な地位を手に入れた人達だけあって結構キティガイ染みてる。

ピンキリ含めて、人前で常識的に安定した言動を取る人が急にコケて脱線したり、異性交渉をキッカケに様変わりしたり、期待に応える頑張りに疲労脱落したり、端から出来ないことを無理に通して突然放棄したり、こういう様を見せてくれることで、見せる権利を付与された解釈もされるだろうし、区別や理解も進み、学習として活かし正すことも起こるのだろうが、その都度の外的影響たる刺激によって内的思考がグルングルン変化し過ぎる者や、本質的な偏執変容変態が立場や地位を生み出した要因である者の、躁鬱交じりの人生を垣間見ることに面白さを得なくなってきた。

普通ぽい人も今後何時爆発するか判らない危険物の様な者だが、普段は底を知らない/見せない関係にある人間関係こそが健全と安心を相互提供するのだと、私達は本能で分って実行している。しかし、これが有言/努力とかで語られ主張されても、今後どうなるかは判りませんよ?と言ったが、自分もそうだし、そう見られている。先ずどうしておくかだ 22:16
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更新がんばるぞ! 「継続は力なり」について

長くツイートしたものはブログにする活動。そうでないとココの更新が減るので。

毎回、私はトイレへ行こうと椅子を発ち、用を済ませ戻ってくる間に妙な事を考えている。
先程は、、、「拙者(私)が表彰とか褒章とか誉れに肖(あやか)ったのは殆ど十代だけで、歳追う事に多少なりとも称賛に値する実績には無縁である」と思い付いた(てへへ)。こんな自分を省みた時に考え出せる理由とは「飽きが来て継続しなかったからだ」と結論付けした。そして現代の若者や青年に対して、、、「例え芽が出なくても、一つでも取り組める何かしらの事柄があれば、これを正しく学び、時を費やし気持ちを注ぎ、孤立し過ぎる事無く交流を保ち、緩やかにでも深みを増し、これらに精進しながら現実的に技術&能力の活用として生活若しくは人生に組み込むのなら、必ず称賛に値する大きな力となり、生活や周辺に良い影響を与えますぞ(キッパリ!)」

と云う、お高いメッセージ付きまで考え出し、ツイート上で公表した後で例の様にこのブログに移し纏めた。用事を済ませる間の雑感を、覚えている限り TWのネタに使うのだから、私が頻繁にTWを吐く時は「トイレの回数が多いんですね」という事がバレてしまう。

さて、所謂「継続は力なり」と言われるが、平々凡々でも続ける事が結局は個人の歴史と財産になる。・・・ん? いやいや、こういう事じゃないだろう。
格言の原典から離れ、”毎度あてくしの自論で御座います”と申し置きますが、そもそも継続とは思う以上に困難を極めるものだと結しておりますじゃ。

自分が続けたくても周りの変化がこれを許さなくなるかも知れない。極めた心境になり筆を置くこともある、置かざるを得なくなることもある、天才肌の持ち主が一発ドカーンと当てた挙句に不得手で余計な事に手を出し毟り取られて転落する。僅かな生活環境の変化でも気分転換と称し「生活に彩り足りねぇ、血が足りなねぇぇ!」とばかりに、ライフチェンジしていると継続(習慣)なんて出来っこない。「踏ん切りを付けて他へ進む」のも一種の継続放棄、過去清算であり、こういった「どうかしてるぜ!いつまでもやってられないぜ!」という転換転進を「自己向上と経験学習成長」に書き直して今日に到る経験(記憶)は結構多くの人に当てはまるのではないか、と思う。

体が云う事を利かなくなり継続断念する場合もある。誰しも徐々に突然に体調変調がある。日々働く人なら誰でも付き纏う不安が健康維持である。
経済や法律事情、世界事情や環境の激変、不運な事故や災害、生きている間に結構世界は変わる。生きる分だけ身を以って体験出来るだろう。各事変・事象の発生確率なんかはさて置き、「10年20年、10歳20歳30歳生きてりゃ、それなり何かあった」と誰もが言える(だから世のヨボヨボ老人でも人生話を聞くとスゲー面白い)。継続とはどんな事情でも断念しないことであるが、実際は継続できる環境に自分を置く/向ける事が肝心だ。戦略的継続なのだ。だから継続は難しい。

さて、原典を辿ろう
青年よ強くなれ
牛のごとく、象のごとく、強くなれ
真に強いとは、一道を生きぬくことである
性格の弱さ悲しむなかれ
性格の強さ必ずしも誇るに足らず
「念願は人格を決定す 継続は力なり」
真の強さは正しい念願を貫くにある
怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである
悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である
青年よ強くなれ 大きくなれ


住岡夜晃著『讃嘆の詩(樹心社)』より
http://homepage2.nifty.com/keizoku_ha_chikara/index.htm

今現在は青年・乙女である世代の君達も、のちのち年老いた時に、自分の過去や生涯をどう捉えるか、そしてどう覚悟を決めるのか、を考えたりすると思う。
これは真理・道理かも知れない。だから今の大人や老人達はそれなりに知っている・解っている。しかし、こうした先人(先祖)の体験のホントのトコロが若い世代へ語られる事は余りない。美徳とか恥とか敗者とか面倒だとか忘れたとか、まぁ先祖全ての記憶を保存継承することは出来ない。最近では家訓もないだろう。「先祖なんて遺物だ」と楽しく生き晩年ガクブルな人も多いかと思うが。
大体、話す側の老人が口下手や話下手なのがアカンのだ。話さなくなると笑いが無くなり、奇妙なタイミングで喜怒哀楽を出し始める。そうしてボケが早まり寂しく死んでいく。生命の継続がチカラどころでは無くなったら僅かな自己礼賛も砕けるだろう、そうして無我へシフトする。
永遠の話をしなくても、だからまぁ継続とは難しいよ、という雑記

難しいことを考え込む人ほど単純

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他人をも巻き込む系統の精神不安保持者の安定剤として、集中力を齎(もたら)す何かしら作業従事があり、これには理性の敵とされる本能系欲求、社会悪染みた活動が効用を発揮するケースがある。まぁエロの話。

時間蓄積に依る現存の定型文(趣向&雛形~アレしてコレして絡むとか、どんなジャンルでも定番のパターンがある)に収まってしまう事。複雑性を要因とする不安は、単純性や安定安心を求める故の反動と云う、滑稽であり面白くもある感想。

米喜劇 "奇跡の縫ぐるみ2012(TED)"にもある、特定富裕層及び下層やら社会的少数者の扱い、また基本性能や経歴等を経て言論として少なからず影響を与える所、方角も位置も変えながらの視点を得る事が、上下のなく物事を把握できる高品質層への道かも 07:22

Visiteurs de prison à Monaco - © Le Nouvel Observateur
モナコ公国 刑務所


狂人も世間の枠内に納まる。常に檻の中なのだ。

神経質な識者への慰め

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TWまたはRTで
「よく『詰まらない』を連呼する人は、面白さに気付けない自分の詰らなさに気付け」や
「プロフに『辛辣です』と置きながら、人の意見を拝借するばかりで困惑する」など
発言者自身を満たす有り難い説法TWを見掛けるが、言葉を投げ掛けた連中の一生を通して見てあげれば、説法者は彼らの或る機会の或る一点に於いてのみを意見しただけに過ぎないし、同じく説法者も一点での発言に過ぎない。風に煽られた木の葉は同じ風向へ揺れるだろうが枝振りや枝付きで違った揺れ方もする。無視出来る程度の対局的存在へ年数掛けて観察する事はしないだろうが、そんな対象の一生にも或る種の真理は有る。

集団社会の中に生まれた限り、他者等を比較参考しながら羨望や反感や自虐に批判などを抱えて、それぞれが自己の存在価値を形作っていくだろうし、または既成の自己価値概念を強固にしていくかもしれない。周囲からの刺激は天候と例えて、どう根付き枝葉を伸ばすか、と解けば先天&後天的にも”それぞれ”と云うものになる。これには自他視点で診られる矛盾を多く孕んでいる、そして、こういうものなのだろう。

仮に、閉鎖された場所で唯独り存在するだけモノだったら、恐らく何かをしようとする事さえ起こせないし気付けない。「相反し嫌悪する何かしら、大雑把に周囲と云うものがあり、その中に含まれ存在するからこそ、自我的なものが今そこに御座います」と云うのが上位的な意見なのだろうw 03:42

wikipedia"精神安定剤"
http://ja.wikipedia.org/wiki/精神安定剤

お薬のお世話になってる識者の多いこと・・・。お大事に。

性行為の上手下手? それがどうしたというのだ

長くツイートしたものはブログにする活動。

性行為の上手下手をワザワザ回覧し一言ケチ付けて、次の瞬間全く違う複数の話題に飛びつき同じく回覧している人がいた。面倒な事に発言者へワザワザ返信しており、余計な繋がりを無差別に振りまく人である。昨年の段階で存在に気付いており久し振りに目にした瞬間、以前と同じ憤りを持った次第です。


性行為の上手下手ってAVのせいでも指南書のせいでも男女格差でも地位向上でもなく、単に対話と理解不足。
加えて、常々「あれしてこれして!こうじゃなきゃヤダ!」と思考するタイプは上手下手を煩く言う。
積極的か消極的かは経験に依る。消極的な男女は過去の性交渉に中傷や暴力他などの受難がある筈。
快楽と満足の良し悪しで言われる上手下手は未知か既知の違い。過去に交渉した異性との行動情報が1つでも記憶にあるなら比較が始まる。なんでも相性で片付けるのは雑だが、結局相手との接し方が出るだけ。この一点の意味合いは高くない。話題性も低いし時限的。自分達の組み合わせの良さを棚に上げて他人へアレコレ指南するとか、過去の拙さを理由に嫌悪するとか、周りは勘弁でしょうが、この手の経験話は自尊心?がよく出る。言い合いになって当然。これでデータが採れたら良いが対象間の相性でしかないく莫大な収集が必要、だからパッと話題にしても反応が莫大

序で話。
tumblr ってミニブログ、PORN素材流通が盛んで、皆がお気に入りのPORN画像をリブログ(RT)しまくる。収集パターンから診ると、各人の好みがよく出ており且つ自分の民族性に近いモデルを選ぶ。日本のAVが近隣にウケるのは当然。また欧米人でJAVに目を向けるのは極少数だ。現代のAVメーカー及び派生と組織が生み出した"海外無修正サイト"ってやつはアメリカにサーバーを置き、英語表記有のBB配信しているので、てっきり欧米圏でも需要あると思いがちだが、そうではないようだ。しかし近年ハングル表記を止めたサイトもある。この点、領土侵略問題などの文化流行阻害事件が関係しているかどうかは判らない。

tumblr での日本人の一例。美麗画像を選ぶタイプはチラリズム/フェティシズム/美麗女優のソフト&セクシーヌード。同等の欧米人はモデル/アーティスティック/ゴージャスとなる、画像一覧で見ると非常にセンスが良く華やか。同等の日本人の画像一覧はスケールが小さく子供ぽい、一般的一戸住宅のガーデニングの様なスケール感、若しくは賃貸マンションの飾った一室の様な。これが日本的だ。

ジャンルに特化したマニアは世界中に居る。ジャンル多彩なJAVに慣れた日本人の好みは案外多種ではなく数多い選択肢から極僅かを厳選するだけ。マニア度では海外の際物が目立つ。暴力の範疇にある凌辱行為を好むのは土地/国柄が理由だと思う。戦争が身近にあり殺害死体を見た等の凄絶な体験や、人の命が軽い国、犯罪が多い国に発生しやすい性趣向だと考える。暴行凌辱に性欲(支配と創造)が結びつく点は興味深いが、関わらない方が良い雰囲気を十二分に感じる。

世界的に見ると多くの男性がノーマルでソフトを好む。特殊や多種多様は少なく、それこそ上手下手を問いそうな世界的な雰囲気は無い。民族によって征服/共生などタイプが分れるらしい(気候の影響が性質に影響を与えたという説は今では薄いと思う)が、こんなことは、さて置きだ。世界の男女はフィーリングでフォーリンラブすると感じている。健全だ。

パっと出の性交渉話題に食い付き易いのはノーマルな証拠。探究心が高くても経験値が低いならノーマルに近い。国内で言うノーマルは未熟に属す。性行為への理解や技術?に AVが一役買った実績はあるが黎明後20数年来の影響度は高くない。つまり話題になるプレイ、つまり独特なスタイルが流行ってみせるだけ。
多くがスタイルだけを問い、核心へ向かわない。スタイルだけを問うと矛盾と混乱が起きる。例えばデモンストレーションなど‥。上手下手も実はスタイルの範疇に過ぎない論点と思う。

性交渉視点からでも社会風潮を見て取れるのかも知れない。お終い 20:01

死に様云々

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今こそ考えよう 高齢者の終末期医療|読売新聞 yomiDr /ヨミドクター
欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60441
「頼むから、もう放っといてくれ!」
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=63577

終末期医療は誰のもの?
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60890
納得のいく死を迎えるために
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=63250

の感想。

海外との比較ではないが参考に。人生共同設計も大事だが、どう死ぬかの会話も大事。お付き合い相手とは、落ち着いた頃合に話しておくのがよかろう。本当に先が見えないのは終点であるし、訊こうとしても瀬戸際の相手は何も応えてくれん。

人生観のマッチングは容易いが、死生観の合意合致は‥ まぁ、お二人で考えなはれ。それと家族が居るなら、いい歳した子供にも。いっちょ前の人生送ったつもりでも最期でチグハグ、よくある事。こうなったらドタバタするでしょ。死に際で説教や口論なぞ聞きたくないだろうしw

書籍や漫画や聞いた話で「どうしよう、こうしよう」じゃなく、やれ「したい、したくない」の好みの問題でもなく、人の死に様よく見とこう。

見過ぎる人は‥好きにしなはれやw

欲を失うのは死への準備

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自覚を持ち客観視点を考え公けに常識的に言って、性欲と云うものが不要な年齢になったが、適度に保持するのは人間的魅力に通じることを上位世代から教わっている。生殖を目的とする本能でもあるから、この目的の為の用を成さなくなった時、必然的に退化する欲求でもあると思う。

近年でも経済的余力に溢れる紳士は、育成や援助などの名目または威厳や活力から、若く美しく一段優れた女性を囲うこともあるだろう。こういった人達の実際の愛玩を少しばかり知っているが、万が一自分が立場を得ても同じように実践する自信も能力もない。同世代でも二周り年下層への興味を失っていない実在人物を少なからず知ってはいるが、欲する快活に比べて現実は当然厳しく彼らの欲求を満たす事には成り難い(運良く/知恵を絞って、そうなるが一時的な大人の知恵でしかない)。発散する対象を持たない限り、枯れないことは辛いことでしかない訳だ。

接客環境以外で格上と接触する経験がある場合、恐らく格上が向けている心理的な興味は、男性的なものではなく父性に近いと思う。種の保存(血の継承)と同じく、知識の継承を行うのは世間を見たとおり極自然な事でもある。世代間の接触は、直接的ではなくこういった間接的なものに留められるのが明確なのだ。

とは云え、実際そうではないし、感情を優先した末に余りにも現実染みた破局を迎えたケースも目にした。実の所、解っている筈なのだが、ひょんな事で道を誤る中高年も多くリスクの高さを自分の活力に変えている。これが幻想であると解っていても当人はせずには居られないのだろう、哀しい処である。これを慰めるのは運悪く引っ掛かった乙女やら職業に携わる者達で実際の所大変な役回りだろう。消耗を補うメリットに価値が無くなれば即刻無縁となる自由もあるが中々行使には至らない点も明白だろう。

そうして、欲と云うものが社会を動かしている中で一つでも欲求を失うと、楽にもなるし活力自体を失うことにもなると身に染みた夏だった。

生存悪

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「核のゴミ問題は解決できる」2011年05月22日付
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51710655.html

これ当時は「やれるのか?」と思ったが最早これが結論に近い。
大勢生きてりゃ余計が増え、仕方の無い破壊が生じる。「トイレはあるけど遠慮して使いません」という様な大衆のエコ活動は、哀しいかな感傷的偽善としか考えられない性分だ。環境悪や社会悪も辞さない考え方は言葉通り悪だが、この悪事は無責任と言い切れないものがある。

いちいち例えなんか出せないが、生きてりゃ誰かに手間隙や迷惑掛けてるだろ。
髪の毛抜けるわ古い角質剥げ落ちてるし減らず口叩くし視界に入るし息吐き体臭漂わせるし汚水糞尿垂れ流すわ、ステイタスの獲得に削がれた何かを知り切れず、衣食住に纏わる大量消費の恩恵を頂戴し、そんな社会に組する事で得た消費活動者の一人として、生体や命を廃棄している訳だ。
理屈や感想で軽々しい善行を意思表示するなら、さっさと死ぬべきだろう。死んだ所で社会に何の影響もないだろ(・・・ある?家庭の事じゃない、他人に当て嵌める事じゃない、自分が死ぬ分に「影響あるよ」とか抜かす奢った馬鹿ですか)?
だが死ぬ訳にいかない。ところが、さも自然の如く生まれてきた私達だが、実は仕方なしに生まれて生きている。老いて「さてどう死ぬのか?」みたいな一生。
その間の理想は「我が良き人生」の追求でしかない。このような人間が大勢でわらわらと群れた社会構成にあって、ここから生じる仕方の無さを理解出来ないのは、何から何まで自分勝手としか言い様が無い。

そんなこんなで恥じた人間は、言動を慎み「僕私は謙虚に生きています」フリを演出する。それが「クールで賢くカッコいいお洒落だ」とか抜かしながら、万能な礼儀作法も知らず只の好き嫌いからくる成り振りをして、さも義務と責任があるかのような意志を持ち、それを果たしている人間だから「文句あるまい!?」と対峙する社会弱者を頭ごなしに言い伏せる。最早チンピラ風情の恐喝に等しい。

覚悟の出来た人間は生き恥の質が違う。判別がつく。
安定を築く為に労力を費やす真っ当で自然の摂理に則ったな一般的人間が、どうして安っぽい偽善に嵌り易いか不思議でならない。この努力(犠牲)こそ最も過酷で、覚悟の要る生き方なのだから、普段日常的に行っている仕方のない生存活動の罪悪に、彼らは気付いて当然なのだが。

「生存悪を直感してるから、悔いて偽善めいたことを言ってる」と受け取られるのは嫌だろ?

CV - 複雑を経て単純へ

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歴史認識の違いを各国々は妥協とし正論とするが、それは戦勝国または戦争被害国の権利である。
敗戦国は少なからず自省と自虐観を持つ。パール判事は子孫が自虐観念に囚われることを憂い、自分を責めていた。

誰もが過去に、大小自他を問わず、何かしらの蟠(わだかま)りや怨みを持っているだろう。しかし、これを最終通告として持ち出す魂胆なら、今よりこれからに生きるものの資格はない。所詮、学習や記憶であり、果ては笑い話にしかすぎないからだ。前を見る方が少なくとも正しい。振り返った時に陰鬱な気分になるだけ、ではなく飲み込んで背負って歩くことの素晴らしさや逞しさ、即ち人間らしさを教える方が厳しく強靭なのだが、そうとは教えてくれない。だいたい宇宙全域において知的生物は悉く罪人なのだけれど。
揉めた何某と再度友好する必要は全く無いし無理だが、そういった者とこれからも同じ時代を生きていく事からは免れないし、対象の存在は消せない。けれど、そもそも生活圏全域に存在する人間を全認識している訳でもないだろう?

全てを知るよりも、ちょっと知るだけで良い。そもそも常日頃から部分認識で留めて済ませるしかない。全てを知るのは中々難関だ。部分的な知識だけでも考えは回る、全部知っても同じく考えは回る。人それぞれに回答を出す計算式(脳みそ)があり、これに変化も進化も無ければ知識は分量を問わない。根本を向上させる意識を保つのは大事だ。

知識の分量によって、認識<理解<容認<情<共生と進むのかも。老いても伴侶と連れ添う人生(修行)を全うした人は内面の仕上がりが確かに寛容だ。だから、こうなるのが慣例であり義務であり使命であると確かに云い得てしまう。自我が強く我慢が利かず反抗と嘲笑に塗(まみ)れるのも修行かもだが。

決して纏め切れない多くの問題と苦悩を、寿命を全うする間中背負い切ることが出来たのなら、それぞれが臨終の際に納得はするだろう。納得の仕方よりも、付け方が先と思うが。
そうして過去や世界の大問題は消え失せ、小さな個人の問題に終始するのである。
11:33 via Saezuri

無常

2011-12-08
本当に真摯な人は全く目の届かない所に居て、変化を捉えても変わりなく生きている。善人も悪人も。

今年は様々な本音と実態を見た。立派な行いは非常に少ないし、大した集まりも僅かしかない。多くのサービスは社会貢献では無いし、数十億の人生に価値は無い。そうで無いかも知れないが、こうだったかも知れない。
これらを無駄にさせない気持ちは唯の個人に因る。人の数だけ個々の指針があり、これが世界を構成し継続させる。持って生まれた生き続ける動機と衝動を根拠に、生まれた時代の目に見える世界にある価値観を拾い集め手に入れようとする。しかし、一生を無難に生きるだけなら、そこに競争は無く、主張も無い。こう考えている
18:13 via Saezuri

Everyone is blind.

あらゆる視覚世界に通じていても本質に届けない時点で誰もが盲目である。
況してや、自分自身さえ、よく解らない存在なのだから。
正常や普通であろうとするよりも、まず自分の狂った部分を表に出せば、少しは気が晴れるだろう。
見せないだけで悪となる。当らない部分に光を当てやれば、狂気さえ凡庸になる。

相手の心理を突く場合、どう解釈されるかの印象によって発言者の人格と知性が知れる。
この最も初歩的な点を抑えるまで、よく攻撃されると良い。
理解し合えない、という限界を当然とし、超えていく意思と容量を備え増やしていけば
共通点を見出せ、多少なりとも理解が育まれる。

完全に知る、完全に理解する、ことは大事でもなく真理でもない。
神にでもなりたければ、止めはしない。
しかし、これを更々諦めるのであれば、正常な視覚器官を備えただけの全盲となるだろう。

The Individualism in the real sense

- 真の個人主義 -

国内外問わず HP, blog, mixi, tweet 等の更新が滞るのを目にする。
人一倍多忙を好む知人は「書くことがない」と言う。

今更だが斯う思う
「敢えて情報や動向を発信し存在を現すのは、そもそも気風に沿わないだろうが、既に『発信』も大袈裟に扱われ、TVコメンテーターの謂う(インター)ネットは特殊世界でも無く、最早一般に取り込まれつつある共有ツールだ。

しかし、現実社会で個人が埋もれる様に、情報社会の中でも同じ理由で個人は埋没を進んで選ぶと思われる。別世界でも二束の草鞋でも無い空間に於いて同じ行動を選択するようだ。

サイバーパンクの金字塔のキャラクターがいう『ネットは広大だわ』と言える世界にはまだまだ早い。

社会の中でも学校、職場、家庭、親族、納税者、有権者、世代、国籍などのコミュニティが混在し、それぞれに個人は同席する。場に応じた顔を既に個人は持っている。
従って、個人を真に解放する領域は個人の中にしか存在しない。場に即した最低限の行動を取り極力区別を行わない世界になれば 」と。

年齢よりも経験から斯う思えるようになった。「俺は社会でもネットでも俺である」

observation, comparison, experience, philosophy

「twitter依存」

なる言葉を見掛けたので「依存」と関連し「孤独」についても軽く調べていた。
読書せず検索、とは確かなネット依存であろう、すると亡き三木清氏の格言に斯うあった。


「三木清 - 『孤独は山になく、街にある。』
一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にあるのである.」

悪魔な哲学

eiji_devil:
らっしゃい
redo_chan:
久し振り

eiji_devil:
ひさしぶりだな、ベクレル食って元気ですか

redo_chan:
昨日の午後 このカテゴリーに、この部屋名を借りて、ルームを開いた。
eiji_devil:
へ~どーもご苦労様です

redo_chan:
元気元気 栃木産 福島産 食べても問題ない。
eiji_devil:
問題が起きるのは十五年後だろ

redo_chan: 原子力は良いねぇ。
eiji_devil: そうか?

eiji_devil:
ゴミ発生機だろ  原発
redo_chan:
何か遭った時、人の業を危険と死を以って実感できるからね 原子力は。

しょうばいとニコなまって似てるんだお

商売とニコ生は似ている。
放送者本人が売り物になるので少し商売と似ているのだ。
ニコ生を観察すると見えてくるものを書いてみよう。

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  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ゆってみるお!
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  \      `ー'´     /

下品さもキャラクターとして受け入れられる配信者は幸福だ。「またヘンな人が現れたよ」と話題になる。こうして短時間で有名な位置へ辿り着けるのは天賦の才ある者や、成るべくして成る者だけだ。特に都市圏で話題になるのは、他がやっていない変なこと。如何に違うか、変わってるか、特化しているか、こんなことが重要。かと云って、こうなれない者が落胆するのは早い。
実生活の破綻を話題にする必要はない。確かな知識を得た上での思想観で以って巨悪や不埒者へ立ち向かい議論や論破など正義観や一般への知識布教をする必要もない。無理をして馬鹿げた行動に出てみたり、お笑い番組やラジオ番組のような企画を引用したりする事も不要。早いトコ有名になりたいなら、このテンプレートを使えば良い。こういった事に才能を発揮する人々もいるから悪いことじゃない。配信が芸や勤めのようになっても生活のプラスになるなら問題はない。配信以前に何かしら目的があり、道具として配信を使っている人もいる。
ストリーム配信を使って自分を売る行動に出た人が、たまたま私達の目に付いただけの事だ。一方、世の中には専門職に就いた大勢の人間が居て、彼らは能力と経験を仕事や公益の為に奮っている。私達が、この大多数の姿を敢えて目にする機会は殆ど無いだろう。大なり小なり一人一人の労役があって、この社会は成り立っている。ネット上は自分を見せ易い。楽しさを求め、積極的に表へ立つことを選んだのなら、少しだけ他人への貢献を考えておこう。
尤も大事なことは、日々の生活に支障なく、無理せず、長く続けることだと考えている。
この事について以下へ書き留める。