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生存悪

長くツイートしたものはブログにする活動。そうでないとココの更新が減るので。

「核のゴミ問題は解決できる」2011年05月22日付
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51710655.html

これ当時は「やれるのか?」と思ったが最早これが結論に近い。
大勢生きてりゃ余計が増え、仕方の無い破壊が生じる。「トイレはあるけど遠慮して使いません」という様な大衆のエコ活動は、哀しいかな感傷的偽善としか考えられない性分だ。環境悪や社会悪も辞さない考え方は言葉通り悪だが、この悪事は無責任と言い切れないものがある。

いちいち例えなんか出せないが、生きてりゃ誰かに手間隙や迷惑掛けてるだろ。
髪の毛抜けるわ古い角質剥げ落ちてるし減らず口叩くし視界に入るし息吐き体臭漂わせるし汚水糞尿垂れ流すわ、ステイタスの獲得に削がれた何かを知り切れず、衣食住に纏わる大量消費の恩恵を頂戴し、そんな社会に組する事で得た消費活動者の一人として、生体や命を廃棄している訳だ。
理屈や感想で軽々しい善行を意思表示するなら、さっさと死ぬべきだろう。死んだ所で社会に何の影響もないだろ(・・・ある?家庭の事じゃない、他人に当て嵌める事じゃない、自分が死ぬ分に「影響あるよ」とか抜かす奢った馬鹿ですか)?
だが死ぬ訳にいかない。ところが、さも自然の如く生まれてきた私達だが、実は仕方なしに生まれて生きている。老いて「さてどう死ぬのか?」みたいな一生。
その間の理想は「我が良き人生」の追求でしかない。このような人間が大勢でわらわらと群れた社会構成にあって、ここから生じる仕方の無さを理解出来ないのは、何から何まで自分勝手としか言い様が無い。

そんなこんなで恥じた人間は、言動を慎み「僕私は謙虚に生きています」フリを演出する。それが「クールで賢くカッコいいお洒落だ」とか抜かしながら、万能な礼儀作法も知らず只の好き嫌いからくる成り振りをして、さも義務と責任があるかのような意志を持ち、それを果たしている人間だから「文句あるまい!?」と対峙する社会弱者を頭ごなしに言い伏せる。最早チンピラ風情の恐喝に等しい。

覚悟の出来た人間は生き恥の質が違う。判別がつく。
安定を築く為に労力を費やす真っ当で自然の摂理に則ったな一般的人間が、どうして安っぽい偽善に嵌り易いか不思議でならない。この努力(犠牲)こそ最も過酷で、覚悟の要る生き方なのだから、普段日常的に行っている仕方のない生存活動の罪悪に、彼らは気付いて当然なのだが。

「生存悪を直感してるから、悔いて偽善めいたことを言ってる」と受け取られるのは嫌だろ?

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