大人になっても直らない食べ物の好き嫌いは、まず若年期の食卓に根拠がある。
親の好き嫌いを考慮した食材の選択、これの調理方法、そして味付け。不味いものを拙い味付けで出し、不味い態度を食卓の誰かが取る。目に見える状況や、不味いものを「不味い」と思うのは、当然の経験則となる。
今でも嫌いな食材は一度高級品を食してみること。美味いから高級品なのだ、がそうではない高級品もある。評判の良い品目や売り場を当たって一度食べてみよう。それでも「不味い」なら不味い理由だけはキチンと列挙し整理し、面白く「だから私は嫌いだ!」と意見出来るまで極めておこう。これで周りも好き嫌いをユーモアとして受け入れてくれる。
嫌いな料理は一度、腕の良いコックが提供する料理を食してみること。またはレシピをヒントに美味いと思う調理を考えてみる。そんなこんなで、ちょっと料理の腕や知識が増えるかも知れない。「趣味は料理!料理にはコダワリがある!手を出すな!」という人でも、向き不向き得手不得手がある。全国や世界にある一味一工夫まで知識獲得している人は多くない。嫌いなものを美味くする研究開発には、ちょっとした手間と作業がヒントになることは少なくない。
これで好き嫌いという思い込みや偏見や間違った経験が訂正されると思う。
10代の間、肉料理全般がダメだったが、仏料理店のヘルパーをして「あれ?肉って美味いじゃん。もしかして家の食材と調理が?」と気付いたことがある。最近では口煩く言って、定番だった空豆の調理方法を変えて貰った。何のことはない、皮を剥いて小麦粉衣で揚げただけ。40年を経て空豆を美味しく食べられた。美味しい調理、不味くない食材の選択で好き嫌いはほぼ無くなる経験談。
でも新たに好き嫌いが生まれるかも知れない。美味しいものを知ってしまったら・・・だ。
しかし、これは正しさを知った事なので、これを嫌いと表現するのは間違いだと思う。
画像:おたる産の「しゃこ」に関するウェブサイト 小樽産しゃこブランド化推進実行委員会 |
蝦蛄は食べられますけど、剥くのは無理なんです。
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