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北斎の美人画に黄金比を当て嵌めてみる

「春画検索から始まって、ふと渡辺崋山の絵集が欲しい、なんて思っているが、やっぱり北斎は凄い、と海外サイト(visipix.com )で楽しんでいる。http://visipix.dynalias.com/cgi-bin/view?s=2&userid=2094708814&q=hokusai&u=2&k=0&l=en&n=27 例えばコレとか」

これに返信頂戴致したのを機会に、少しだけ考察してみました。北斎はコレ描いた人です。











江戸美術に関しては全くの無知ですが、紹介ブログ等を閲覧して構図(バランス)的に、なんか凄そうな所を纏めてみます。



画像引用元/picture quotation site:visipix.com
http://visipix.dynalias.com/cgi-bin/view?s=2&userid=2094708814&q=hokusai&u=2&k=0&l=en&n=27

1.0 2分割 ※元画像サイズは 403px - 640px です。このサイズを元に全ての比率を当てました。

中心や鞘の位置が取れていますね。

※この肉筆美人画は画像右下に「戴斗(たいと)改、為一(いいつ)」と名がある通り、丁度「富嶽三十六景」の(大作版画)制作を始めた頃の作品みたいです。そのため、この為一(いいつ)時代の肉筆画は北斎作品群にあっては佳作とされるようです。

2.0 3分割(当時でも知られた分割)

左肩位置が合ってますね。


3.0 黄金分割

あまりピンとこないですね。

3.1 黄金分割を元に対角線を引いてみる


3.2 黄金分割(改

おや・・・


4.0 黄金比分割(横軸を基準に、1:1.618 分割)

えっ・・・

4.1 黄金比分割を元に対角線、黄金比分割を加えてみる


4.2 黄金比分割(改

ええっ!?


当時でも北斎は異国の絵画に触れていた経緯もありますし、庶民に読まれる北斎漫画で技法を掲載していたことや、絵に関しては貪欲でしたので、かなりの考察を尽くした天才絵師だと思っていましたが、黄金比がコレほど一致するとは思っておらず、やっていて恐ろしくなったのは事実です。基準線だけでは「へぇ」としか思えませんが、対角線を引き、その交点を出すと驚くほど、線画が一致してきました。しかもゴチャゴチャ引かないと出ない対角線にほぼ線画が収まってくる。富嶽三十六景を制作するに当たり、かなり時間を掛けて構図や色配置を熟慮したみたいですが、その為か緻密なデザイン画とも言えるのでは。黄金比を2種類使いましたが、横軸基準の比率では黄金短形から既に一致するポイントがあり斜線を入れるほど一致する箇所が出現しました。ホント「え?」の連続でした。


おまけ
目、右裾、鞘先が収まりました。

コチラもどうぞ
明星大学|日本のビジュアルコミュニケーションNO.5
Visuarl Communication Japanese Society No5『名所江戸百景』
http://www.hino.meisei-u.ac.jp/is/nishigaki/stiudyi.html


人物紹介。
葛飾 北斎(かつしか ほくさい 1760-1849)
百姓の子として生まれ、川村時太郎~鉄蔵と称した幼少期に、鏡磨き師の養子になりましたが、この家を出て川村家に戻り、6歳頃から写生好きで、また手先が器用だったこともあり14歳頃から木彫り師の弟子、貸本屋の丁稚となり、18歳頃に役者絵を得意とする江戸中期を代表する絵師一門の弟子になりましたが、あらゆる絵に興味を持ち過ぎたせいか、一年で破門。その後も絵は止めず、雑用や行商などで生活費を稼ぎながら絵師を続け、称号を名乗った35歳まで下積みを続けます。門人を得るほどになった38歳頃、オランダ風景画の影響を受け、それまで日本では単に背景だった”風景”に目を向け新生面を開き、絵本を刊行しながら45歳、後の名となる「葛飾北斎」を用い、挿絵で名を上げ、それ自体の評価を上げる功績を残します。生涯を通し、世の中のありとあらゆるものを絵にする程に絵師魂は強く、2年間自由に絵を描いて過ごした後の54歳時、自然や愉快な庶民の様を描いたスケッチ絵本(北斎漫画)を初編発行(北斎没後29年後まで発行し全十五編)。還暦手前の名古屋スケッチ旅行では寺院で120畳ほどの絵を描くパフォーマンス、大阪近畿旅行では大阪の有名絵師が門人になったり。そしてスケッチ旅行で溜めたアイデアを練りに練り、63歳から有名な富嶽三十六景を制作、71歳の老齢で発表。続く「富嶽百景」では後書きで、以下のような画狂様を言い残しています。

「私は6歳より物を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。とは言え、70歳までに描いたものは取るに足らぬものばかりである。そのような私が、73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらか知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。そして100歳を超えれば描いた一点は一つの命を得たかのように生きた絵となろう。長寿の神様には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。」

浮世絵は「現代風」の意味もあり、風俗全般が題材だそうです。これにも況して人物、風景、漫画、挿絵、百人一首、春画、森羅万象を絵に起こし続けた北斎は絵描き狂い特有の無頓着さ(改名、引越し、借金)も備え、奇行にまつわるエピソードは多く、天災や時代の波に揉まれながら、推定数万点の作品を描き88歳まで生きられたそうです。そして、1830年代の明治、日本の陶器が海外に輸出される際、緩衝材として版画が写された紙が使用され、海を渡り欧州の芸術家達の絵に触れました。当時、これほど色彩豊かな版画アートは世界でも浮世絵だけで、ブラックモン、ゴッホ、カミーユ、ドビュッシーなどを代表に、欧州の芸術家たちに影響を与え今からほんの十数年前、1999年アメリカの雑誌「LIFE」が企画した”この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人” に唯一の日本人としてランクイン。現在でも世界的に有名な画家として海外で知られ、HOKUSAI単独名義で絵画は取引されるのが当たり前、高評価の作品は国外美術館に保管(点数が多いので勿論日本の美術館でも多数展示保管)されておりアート系ブログでも画像を掲載し「コイツがHOKUSAIだぜ!」と度々記事にされるほど目に触れる絵師です。

北斎が描いた一作品に、それぞれ素晴らしさを見出されると思いますがそうで無い場合でも、生涯や評価、今も芸術界に残る影響を知るとどんな佳作でも意味があるように思えてきそうな程、今回の機会で知ることになりました。


参考と引用
ウィキペディア 葛飾北斎/Katsushika HOKUSAI
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E
ウィキペディア 浮世絵/Ukiyo-e
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5

文芸ジャンキー・パラダイス~あの人の人生を知ろう~葛飾北斎編
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/hokusai.html

webギャラリー江戸時代 葛飾北斎の作品
http://homepage2.nifty.com/tisiruinoe/KatusikaHokusai.html

電脳狂想曲 WEBデザインの小技
http://viskowaza.web.fc2.com/layout/ratio/divide/index.html

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