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文字起し ノーベル医学生理学賞受賞の山中伸弥教授会見

2012年10月08日 23:12 投稿のユーザー動画
ノーベル賞受賞の山中教授会見

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19075968


iPS細胞研究所所長の山中で御座います。
本日は、あの大変お忙しい中、お集まり頂きまして有難う御座います。あのう、まぁこのノーベル賞という賞を何時間か前に、スウェーデン、ストックホルムからお電話頂きまして受賞の報せを頂いた訳ですけれども、まぁこの本当に心の底から思った事は、この賞というのは名目上は山中伸弥、私、それからジョン・ガードン先生(あすいません)の二人が受賞って事になってるんですけれども、本当に私が受賞、を出来たのは、日本という国に支えて頂いて、本当に日本、日の丸の支援が無ければ、こんな賞は、このように本当に素晴らしい賞、受賞出来なかったと云う事を、心の底から思いました。まさにこれは日本国、日本と云う国が受賞した賞だという風に感じています。

あの、このIPS細胞を、の基礎となった研究を、もう10年以上前に始めた、奈良先端科学技術大学院という所で、私が先ず自分の研究室を出さして頂いた。その時三十‥半ばだったんですが、そういう、まだ無名の研究者に過ぎなかったんですけれども、その時に独立したポストを頂いて、伸び伸び、研究さして頂いて、で国から大きな支援を頂いて研究を始める事が出来ました。そして、そのお陰で、その研究、が発展した事によって、京都大学に研究の場所を移し、更に大きな支援を頂いて、また文科省、JST始め多くの、国の研究費も頂いて研究発展させる事が出来ました。そうやって出来たのが IPS細胞です。

また、IPS細胞2006年先ずマウス[1]で、2007年人間[2]で報告したんですけれども、その後、非常に大きな、国からのご支援を、この5年間、6年間頂いてきました。そういった、ご支援が無ければ、本当にあの、今日のこのストックホルムからの電話っていうのは掛かってこなかった。

(あの‥)感想を一言で、表現するともう「感謝」という言葉しか有りません。感謝する人は、国の皆さん、そして今私達の研究を中心になって御支援頂いてる京都大学総長を始め、皆さん。そしてこの"IPS"、一緒に作ってくれた今あの講師をしております、高橋和利(たかはしかずとし)君を始めとする多くの同僚、若い研究者の皆さん。いつも、私を励ましてくれてる友人、友達。分野は違う人が多いんですけれども、色んな時に心の支えになって助けてくれています。

また、家族‥に、心から感謝の意を表したいと思います。母、私の母が八十(歳)を越えておりまして、母に報告を出来た、事が本当に良かったと思っています。私の義理の父は、も医師でありまして、私を留学中からずっと支えてくれてきましたが、今年早く、に義理の父亡くしました。居る内に報告出来なかった、のが残念ですがしかし、きっと‥ぉ 天国で15年以上前に亡くなった私の本当の父と共に、喜んでくれてるんじゃないかなと思います。

喜びも非常に大きいんですけれども同時に、非常に大きな責任感も感じています。IPS細胞技術というのは、まだ新しい技術であります。医学や創薬に於いて非常に大きな可能性が御座いますが、まだ本当の意味で医学や薬の、新しい薬の開発に役立った、と言える処まで来ていません。このように IPS細胞を始めとする幹細胞全体を代表して、この賞を受賞したということは、本当に光栄でありますが、やはり更にこれから研究を続けて早く、一日も早く本当の意味の社会貢献といいますか、医学応用を実現させたいと、させなければならないと、そういう気持ちで一杯であります。

この、あの何日間か、いつも支えて頂いてる国民の皆様に私たちの研究、今回の受賞の意味について、私も出来るだけ自分の言葉でお話したいと思っておりますが、その後はですね、速やかに研究の現場に戻って、まだあの仕事が終わっておりませんので、えぇ来週からは研究に専念して論文も早く出さないと。学生さんも待っておりますので、あのそれが私の仕事であると。言う風に、も、またこの賞の意味でもあると。過去の業績に対する受賞と言うよりは、これからの発展に対する期待の意味も非常に大きいと、言う風に信じておりますので、それに報いるように、これからも現役の研究者として研究開発に取り組んでいきたいと思っております。

もう少し付け加えさせて頂きますと、今回ジョン・ガードン先生と同時に受賞させて頂くというのは、それが一番嬉しい、と言っても過言ではありません。ジョン・ガードン先生はカエルの実験で一旦分化したオタマの細胞がもう一度受精卵に近い状態に戻るという事を初めて核移植と云う技術を使って証明されました。正に今、私達が研究している研究分野を開拓された先生であります。ジョン・ガードン先生がその実験をされたのが、1962年であります。1962年の9月4日に私は生まれました。そのような大先輩、この分野を切り拓かれた先生と同じ機会、同じ賞を頂くというのは、これからの私の研究者としての人生にとって、本当に大きな意味を持っています。ジョン・ガードン先生、未だに現役の研究者として活躍されていますので、私の同じように IPS細胞技術が本当の意味で医学応用、創薬の応用を実現する日まで頑張っていきたいと、言う風に考えております。

少し外国の話をさせて頂きますが、今回の受賞、私があの京大と並んで所属しておりますアメリカのグラッドストーン研究所からも推薦を頂いての受賞だと言う風に思っております。グラッドストーン研究所は私が大学院を卒業した、まだ新米の研究者の時に、研究者としてのトレーニングを受けた場所で在ります。また、この6年間は小さなグループではありますが、アメリカでも研究を行っておりまして、毎月、今月もまた参りますが、毎月渡米しては最新の研究の情報や研究技術を得ている場所でもあります。グラッドストーン研究所からのサポートが無ければ、やはり今回の受賞というものは有りませんでしたので、その事についても心から感謝の意を表したいと思います。以上です。有難う御座いました。


質問回答
─ はい、あの、有難う御座います。
まず、あの受賞をどうやって知ったかという事でありますが、あの、正直な話、あのう、受賞するという事を全然思っておりませんでしたので、家に居りまして、ええ、洗濯機がガタガタ、音がするので、それを直そうと思って、あのう座り込んで、えぇ、洗濯機を動かそうとしておりましたら、携帯電話が鳴りまして、あのう、それが英語でありまして。で、知りました。はい。

感想は‥、先程も少し述べました、が、あのうやはり‥、えぇ、何と言うか、日米をずっと往復しております。で世界中、特にアメリカにノーベル賞に匹敵する研究者ってホント沢山おられます。日本にも私よりもっと相応しい方が複数おられます。ので、その中でですね、自分が、に電話が掛かってきたのは、本当に‥、なんか電話で言っておられることが本当なのかどうか信じられない、というのが、ま、正直な気持ちでした。それと共に、やはりこういった、あのう私も多少なりともノーベル賞の仕組みと云うのは色んな人から聞いて知っとりますので、その中で日本の研究者である私が受賞出来たというのは、やはり日本としての、国としての支援、の賜物であるという事も強く感じました。
あの、ジョン・ガードン先生について、でありますが、あー先程の質問にあったように細胞核の初期化という分野を切り拓らかれたのが、ジョン・ガードン先生であります。ええ私達の仕事、IPS細胞の仕事っていうのは、その細胞核の初期化と云う現象が極めて簡単な方法で再現性良く起こる、という事を示したと、いう事が受賞の理由だったと思いますので、間違いなくジョン・ガードン先生のお仕事(分野開拓実績)が無ければ、私達の仕事も在り得ない仕事でした。

更に言うならば、ジョン・ガードン先生だけではなくてですね、他の(研究者の)方の、この50年間に幾つかのキー(鍵)となる研究成果が御座いましたので、今回受賞を、一緒に受賞に成っていないんですけれども、そういった、あの先人と言いますか、今も活動、活躍されてる先生が多いんですが、そういった先生(達)のお陰の受賞だな、と云う事も、あの、強く思いました。

あのう何処かでお話した事あるかも知れませんが、10年位前に私、あのう奈良センターに居た頃ですが新聞に、ええ何て言うか、コラムと言いますか、ちょっと書いた事があります。その中で、研究者の仕事っていうのは真理を明らかにする事だ、と。真理っていうのは何重もですね、何枚ものベールで、こう覆われていて 見えない訳です。一枚じゃないです、もう何枚も何枚も、十二単以上に、もう何十枚と、それをですね一枚一枚剥がすのが真理を追い求めるのが研究者の仕事であると。しかし殆どの場合は一枚ベールを剥がしたら、あの、次のベールが見えるだけで中々真理は見えてこない。だけれでも、どの一枚もとっても大切な一枚。しかし、或る研究者が非常にラッキーな研究者が、たまたま或る一枚を同じ様に捲(めく)ったらイキナリ真理が見えるという事が研究だ、と。でもどの一枚も等しく大切だ、という事を書いた事が在ります。私達のチームがやったのも正にジョン・ガードン先生が最初に作られた、その追い求められた真理。ジョン・ガードン先生が最初の一枚の捲(めく)られた、その後を、何枚も後ですけれども、それを同じ様に捲(めく)ったら、IPS細胞という事がイキナリ見えてきた、と言う事ですから。あのう、その当時と今と気持ちは全く変わっていません。たまたま、その一枚。だから、ある意味"幸運"と言っても良いのかも知れませんし、しかし昔のあの時の気持ちっていうのは忘れていませんし、その気持ちというのは一枚一枚が等しく大切だ、と云う気持ちは忘れていませんし、決して忘れてはいけませんし、あの一緒に研究をしている若い研究者の諸君にも、その事は忘れて欲しくない、と言う風に思っております。


質問回答2
─ はい、あのう、そ、総理大臣と直接お話しするというのは生まれて初めてでありまして。え、ちょ、ちょっと緊張しておりまして。
ええ一言一言全部覚えてる訳では無いんですが、あのう野田総理の方から、ああ‥「おめでとうございます。日本国民、日本国の皆さん皆を元気するような、あー受賞で、国を代表してお祝いの言葉を述べます。」という身に余る言葉を頂きました。あのう、私達も国、文科省始めですね、IPS細胞研究所だけで毎年20億円以上の税金で研究させて頂いております。一つの成果として、今日のこの受賞はあったんですが、やはり、あの私達の本当の仕事はシッカリ研究開発を進めて IPS細胞の医療応用を果たす事だ、と思っとりますので、あのう緊張して余りちゃんと言えなかったんですが、これからもシッカリ、本当のそちらの、本当の仕事を進めていきたい、と言う風に考えて、改めて感じました。


質問回答3
─ えぇ、やはり、あのう、「おめでとうございます」というお言葉を掛けて、何度も掛けて頂きました。
─ はい、有難う御座います、と云う、ご支援に対して、言えたかどうか私も分らないんですが私が言いたかったのは、国からの支援を頂いたからこそ受賞出来たと。例え最初の2006年2007年の IPS細胞の論文があってもですね、その後の研究の発展が無ければ受賞には繋がっていない、と思いますので、まず、あのその最初の IPS細胞の仕事も国からの、ご支援で出来た仕事ですので、その事に対する感謝の意を伝えたかったんですけれども、伝わっていることを祈っとります。

質問回答4
─ あのう、ええ、受賞の報せを聞いた時は、あのう家族の何人かは家に居りました‥が、やはりこのような、報せっていうのはですね、ええ、伝えても中々ピンとこない、と言いますか、なんか呆然としてるというのが、私自身もそうでしたけれども。あのう、その時の状況でありました。母親にも直ぐ電話で、伝えまして。母親も、なんかキョトンとしてるという様な、まぁ電話でしたので顔を見て、表情を見た訳では御座いませんが、あのうそういう印象を受けました。


質問回答5
─ んー。「しんや、良かったなぁ」と言った気がします。あの、ジョン・ガードン先生とはですね、えー‥最初にお会いしたのもかなり前、「かなり」と言っても、まだ IPSが作るのに成功する何年も前だったと思います。2002年2003年頃に日本に、あの学会に来られた時にですね、ええ初めてお会いして。あのう印象はですね、ジョン・ガードン先生はあのう、あのう正直な印象言って良いですか? はいあのう正直な印象はジョン・ガードン先生は皆様も写真を見られたら分ると思いますが、とっても美しい髪の毛をされておりまして、あのう「羨ましいなぁ」と。印象と言えば印象、ですが、あー第一印象ですが。

第二印象は未だにですね、現役で、自分で実験をされている、とお伺いしましてビックリしたのと、また、その後も何度もお会いしてるんですけれども、本当に最新の研究成果、常に論文を読んでおられて、その辺について常にディスカッション、色んな議論をする機会があるんですが、その度に、やはり科学者ってこうでないと駄目だな、と云う事を常に教えられる、そういう方であります。
(以上)


参考:
第26回京都賞受賞コメント「iPS 細胞がつくる新しい医学」 山中伸弥氏
http://www.inamori-f.or.jp/laureates/k26_a_shinya/img/lct_j.pdf


以下、wikipedia- japan より
[1]
2006年8月25日の米学術雑誌セルに京都大学再生医科学研究所教授である山中と特任助手だった高橋和利(現、助教)らによる論文が発表された。論文によると山中らはマウスの胚性繊維芽細胞に4つの因子 (Oct3/4, Sox2, c-Myc, Klf4) を導入することで ES細胞のように分化多能性を持つマウス人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)を確立した。
[2]
2007年11月21日、山中のチームはさらに研究を進め、人間の大人の皮膚に4種類の発癌遺伝子などの遺伝子を導入するだけで、ES細胞に似たヒト人工多能性幹(iPS)細胞を生成する技術を開発、論文として科学誌セルに発表し、世界的な注目を集めた。
また同日、世界で初めてヒト受精卵から ES細胞を作成したウィスコンシン大学教授のジェームズ・トムソンも、山中のマウスiPS細胞生成の研究成果を基に、人間の皮膚に発癌遺伝子などの4種類の遺伝子を導入する方法でヒトiPS細胞を作製する論文を発表した。
( via : http://ja.wikipedia.org/wiki/山中伸弥

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