これは納得。私も2011年7月に学内講習会で「今の福島の線量で健康被害は起こらないだろう」という話をしたら、リアル知人の某教授から「東電擁護だ!」と非難され、圧力やら人格否定まで受けました|科学者が放射能騒動に関わらなかった理由 http://t.co/MYRo3mXWym
— s_matashiro (@glasscatfish) September 10, 2013
科学者が放射能騒動に関わらなかった理由 http://t.co/iLP7e9uzhB 「「誰かを悪者にしなければ気が済まない」気持ちがマスコミやネットを通じて増幅し、政府や東電社員を罵倒し、科学技術に対する憎悪さえ渦巻いていた」(今もそうかもしれない)
— Haruhiko Okumura (@h_okumura) September 10, 2013
科学者が放射能騒動に関わらなかった理由 (ブログ版ききみみずきん)http://t.co/UXK5ecup4d (僕も思うところは色々ある.地下鉄のホームの端を歩かないように,皆に注意されたし,家族の事も随分心配した…)
— ryugo hayano (@hayano) September 10, 2013
科学者が放射能騒動に関わらなかった理由 - ブログ版ききみみずきん http://t.co/KM4Kl2cKlx なぜか3ヶ月前のblog記事が話題だけど、宮城県でも、放射線に関する市民講座を開いてくれた先生の職場には罵声を伴う抗議の電話が来るはめになった
— 津田和俊 (@kaztsuda) September 10, 2013
研究者仲間の中には、早野先生のことを、「目立ちたがりだから」と評した人がいますが、そんな軽い気持ちではやれなかったはず。「正義感が強い」なら評として間違っていないと思うけどね。→科学者が放射能騒動に関わらなかった理由 http://t.co/Hpmf1ouqE8
— 薬袋摩耶 (@minai_maya) September 10, 2013
僕はあんまりそういうのなかった RT @hayano: 科学者が放射能騒動に関わらなかった理由 (ブログ版ききみみずきん)http://t.co/KKRcVN8XV9 (僕も思うところは色々ある.地下鉄のホームの端を歩かないように,皆に注意されたし,家族の事も随分心配した…)
— 野尻美保子(ASC2013ケーキ調達部) (@Mihoko_Nojiri) September 10, 2013
ちゃんちゃん!(あと菊池先生も「みんな大変だったんだなぁ」ってw)
今夏話題になった風立ちぬWindblewでの制作者の解説、観客らが書き込んだ無数(有数です)の評価からも((人間は多様と相違に充ちている))なんて思いましたが。未だに放射脳と呼ばれるあらゆる人種(と云うしかないw)が居ます。残念ながら一切の科学的医学的倫理的論理的金銭的地政学的哲学的根拠のないバカアホマヌケな不安の無料バラ撒きでしかない。その先鋒となる拡散係も情報収集力がなく、周りが騒ぎ始め報告を受けてから「けしからん!」とツイート(呟きwww)するばかりで痴呆気味の頑固者が口からボロボロ食べかすを落としているようで「要介護!」。リベラル市民の最前線たる人物らの器量や能力が見えてしまい、時折咽こんで鼻水飛ばしながら僕は失笑していることもあります。
まぁ世の中、バブル崩壊後の左翼や、努力しないピース&ラブ愛好家とか、ダンスして麻薬してラップして立ちバックしてウッカリアナルセックスしたい人たちは居ますし、何時の時代にも朝鮮人も犯罪者も殺人鬼も存在する。これが今までの歴史であり世界です。いまも人間が棲む世界として正しい有様なのです。この魑魅魍魎こそ人の世です。これは中国6000万年の昔から変わっていません。それに、反原発信者でも核爆発発電主義者でも一度位はアナルセックスしたいでしょ?
あの災害・事故を境にネット上での交流ムードが激変したと思うし、あれが今でも未知の他人へ対する一つの人物判断材料になっていると思うんです。例えば疑問解決手段の特性、二次発信へ至る内容種別、交流関係(他人)利用の有無、思想ではなく好き嫌いの指向性、国家・社会・組織との距離とか、他にも沢山。利益なのか好き嫌いなのか、傾倒し切る一番の(多分本人自身が不明な)理由が何であるかによって人の言動は大別~分岐すると思います。また特定人物に対して払拭し切れない3割?程の無償の好意wを感覚するのなら、その他人が結構な間違いを犯しても許してしまう慈悲(や甘さ)が発生すると思います。人間一人を玉に見立てたソーシャルグラフや現実の人間関係接点図でも対局の人間と繋がっているし、そもそも此の世の善悪も流動し混合しているし、宇宙の混沌に構築される改善し続ける秩序の中でしか人間は悩みながら生きられない。
私は震災以降顕著になった外交問題で、今でも愛して止まない人物と疎遠になりました(藁)。けれども、それで良かったと思います。人生80年位の現在、一人一人その生涯で沢山の変化と成長と事象に遭遇します。生きて死ぬまで離れない間柄は産んだ子供でも難しい、そもそも一生の縁なんてありませんから。福も不幸も関係なく一秒でも関係したことは奇跡的恩恵享受だと思います。例え、此の世は生きるに値しなくてもです。
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